「グループホームの日々」エッセー
2006年1月18日

pic-p7  リカバリーハウスそれいゆは定員5名の小さなグループホーム。それぞれ個性的な入居者が自分の課題と向き合いながら生活する場所です。昨年2月よりグループホームで世話人として働いてくれている小松さんに、この年を振り返ってもらいました。


 今年の2月で「リカバリーハウスそれいゆ」に勤務して1年を迎えます。あーもう一年が過ぎたのですね。この1年、あれよあれよという間に過ぎてしまい、ただ目の前にある事を悩みながら越えていくのに精一杯だったように思います。「生活を支えるという視点から、何が見えてきたのか」というお題を頂きましたが、全体的には見えてきたというより、だんだん解らなくなったという方が実感に近いと思います。
 まず、『どこまでやるか?』が全然解りません。医療機関に勤めている時は、枠があり限界がありました。その中でPSWとして何ができるか?出来ない場合何を繋ぎ、何を作っていくか?ということを考えていました。生活支援は広いとは思っていたものの、広いというか際限がない(ように見える)。他のスタッフを見ていると「えーここまでしてしまうの?」「自分はここまで出来るだろうか?」という気持ちをなるべく顔には出さず、とりあえず乗っかってみる。乗っかってみた後、ああそうだったのかと納得はするものの、こんな発想が浮かぶのか、自分はここまで出来るのかと突きつきられた様で悶々としてしまう。アルコールや薬物、男性問題、食べ物、人間関係など、どれとして同じものはなく、起こってくる問題は激しいのです。つい管理し止めてしまいたい誘惑や、自己責任という名のもと放任してしまいたい誘惑にかられながら、本人に何が起こっているのか、私はどうしたらよいのか、悶々と悶々と悶々と布団の中で考えています。

 そして『利用者の事が』全然解りません。解らないはずです、話している本人も自分に何が起こっているのか解らないですから。痛い、疲れた、悲しい、怒ったなど皆、感じ難いのですしね。私には答えはありません、だから「どうしたらいいの?」と聞かれても「どうしたらいいんだろうねー」としか答えられません。話を何度も何度もしていくうちに、こうなのかな?という仮説はあります。でも、あくまで仮説なので、納得したら検証して結果を教えて下さいと言います。その後、「そうだったのね。」だったり「違ったけど、何だったのだろうね」と話します。それでも、解らないことの方が多く、解ったような気になってしまう自分を自戒しながら、皆と一緒に試行錯誤する、毎日その繰り返しです。
 解ったことといえば、毎日いろいろな事が起こることと、生活を続けるの大変さ、変化のゆっくりさです。でも詳しく聞かれるとシドロモドロになってしまいます。そのぐらい解らない事が多いということが解りました。

 永遠に解らない事が多いでしょうけど、謎解きは嫌いではありません。是非解ったら、小松に易しく教えてください。