憂鬱な霧に包まれて〜この国の福祉は何処へ行こうとしているのだろう
2006年6月7日

'Geometry sticks the surface of colours' by Beat720  3月末に新しい作業所プログラムをURLでUPして以来,全く更新も出来ず覗きに来てくださった方達をがっかりさせていた事と思います。ごめんなさい。
札幌は“リラ冷え”独特のひんやりとしたお天気が続いています。カフェではアイスコーヒーを始めたりして、ようやく初夏の陽気かと喜んだのもつかの間です。早く暖かくならないかとみんなでお日様のシャワーを待ち望むこのごろ
 さて、4月から施行された「障害者自立支援法」は“それいゆ”の今後の活動に大きな影響を与えていきそうです。財政上のつじつま合わせはコンセプトが曖昧で(結局のところ国の障害者政策が財政破綻し、そのつけをみんなで支払うということですからね)、政策も先の見通しをはっきりと提示されないまましわ寄せは全部障がいを持つ人、その家族、支援者と向けられます。その問題点についてニュースレターの巻頭言にて触れました。お手元に届かない方のために再掲載したいと思いますのでお読みください。
 各分野、各地でこの法律の問題点についてはさまざまな研修会が開かれています。今後もこうした動向に関心を払い時には共に発言しながら、理不尽な力に負けない団体としての体力作りをしようと思っているところです。それにしても、この法律が福祉の現場で働く人たち=マンパワーの養成については全く考えていないことにつくづくがっくりきてしまいます。建物にお金をかけ,人を育み育てることにはお金をかけないこの国のあり方は、少子化現象とも無関係ではないよね。生活上の困難を抱える人たちに辛抱強くつき合っていこうとする若い専門職の人たちが、希望を持って働ける場でありたいと思うのですが。とにかく自分達がやってきたこと、やっていることの意義を覆されるような無力感は憂鬱の霧となって私を包みます。この霧をはねのける力が欲しいなあ。
 覗いてくださった方達からもどうぞメール、くださいね。

(大嶋)

この国の福祉は何処へ行こうとしているのだろう part1
それいゆニューズレターNo15 2006.2.15より

 昨年国会を通過し今年施行される「障害者自立支援法」に基づき、精神障害者に対する施策は再び大きな転換期に立たされています。病院から地域へというかけ声のもと、札幌市も生活の場所としての共同住居やグループホーム、そして地域に通える日中の活動拠点としての授産施設や小規模作業所などの拡充に努めてきたのはご承知の通りです。それいゆもその流れの中で活動を行ってきました。このたびの「障害者自立支援法」では、これまでばらばらかつ縦割りのため格差の生じていた知的・身体・精神障害を包括的な制度で支援していこうというものです。この理念自体に反対だという声はほとんど聞くことがありません。問題はその中味と方法にあるのです。
 先日、札幌市や北海道の担当者を招いた研修会が開かれお話を聞いてきました。まだ従来の補助金体系がどのようになるのか具体的なことは決まっておらず、ただし新しい法律に基づいた施設の移行を各作業所や授産施設等が検討する必要に迫られることは明確になりました。そもそも作業所自体が従来の法には定めがない法定外施設であり札幌市の独自財政負担によるもの、という説明はそのとおりです。最近も租税収入の減少が新聞で報道されており、担当窓口としては「ない袖は振れない」という現実。それでなくても小さなパイの取り分を巡って今後熾烈な議論となるのか、誰になにを訴えたらいいのかといささかげんなりとした気分です。
 住居や作業所、施設というからにはハコとしての場所が必要です。この確保や維持に多くのお金が必要なのは都市部だけではないと思われます。しかしそれにもまして必要でありながら過小評価されがちなのはそこで繰り広げられる人から人への支援の質、その担保としての財源です。
 例えばそれいゆのグループホームはわずか定員は5名。2人の世話人が日曜を除く毎日当直をしています。それいゆでは食事の提供を大切にしていますが、世話人が食事を作るのは入居者が出来ないからという理由からではありません。彼女達が食べてきたのは空腹を一時満たすための物であり、決して心と身体が欲している十分な栄養のあるものではなかったという認識をしているから。そしてゆくゆくはこのホームを離れ生活していくときに必要な活力は、こうした食べることの立て直しなくして蓄積されないだろうと考えるからです。また、共同生活だからこそ生じる様々な軋轢も世話人が解決するのでなく、入居者たちが折り合える地点を模索する過程を支援したり仲介したりする。そうした存在として世話人が働こうとすれば、一定の時間さらっと入居者たちの顔を見れば済むという訳にいかないのです。地域で暮らすとはハコがあれば何とかなる訳でもないし、出来ないことを肩代わりすればいいということでもない。暮らすことに伴うさまざまな面倒くさいことと利用者自身が向き合うことに他ならないし、それを見守り必要な働きかけをするのに配置されるのが世話人です。今後知的な障害や身体障害と精神との重複障害者をも引き受けるとすれば、それぞれの障害特性と個人の資質やストレングス(持っている力や強み)を適切に判断し、かつ入居者全体をひとつのグループ(まとまり)として捉えその力動にも配慮した働きが、「障害者に理解のある人」という程度の規定で果たして可能だということなのだろうか?
 一方それいゆ作業所の利用登録者は現在16名あまり。毎日顔を出す人、週に2回程度来るのがやっとの人などいろいろです。それぞれに作業所の利用の最終目的は「この社会のなかに居場所を見つけること」であり具体的には就労という人たちがほとんどです。グループホームと同様、プログラムに参加するだけでなく生活するなかで抱える具体的課題をスタッフに相談したり、利用者同士の助け合いなどを通じて変化していきます。精神症状の背景に被害体験を有する人が大半なため、不安を先取りしやすくしかも被害的になりやすい。表面的には適応できるだけに社会の中では「何に困ってるの?」とか「そんなの甘えてるだけでしょ」などと片付けられがちです。昨年11月にオープンしたカフェはそうした彼女達が自分の現実と出来るだけ具体的に向き合える場所を、と考えてのことでした。接客には緊張への慣れが不可欠ですし、仲間と仕事をするには伝えたいことを言葉にしなくてはならないなどどれも避けて通れないことばかり。作業所のプログラムへとにかく顔を出す、場所や人に慣れるという時期が過ぎると自分の抱える課題がどのようなものかを知る時期、そしてそれをどのような形で解決なのか妥協なのか諦めるのかを模索&実行する時期、と変容していくのです。このような個人のプロセスを支援するのと平行し、やはり利用者全体をグループとして(プログラムごとの参加者をサブグループとして)捉えていくこともスタッフの仕事です。この他に法人としての独自事業や各種事務処理と会計、助成金申請等々を考えると先ほどの“支援の質とその担保としての財源”ということ抜きには考えられません。
 ハコを作ったからには、その中味が問われます。あらゆる障害者に開かれたハコにするにはさらに人的資源を担保する財源が必要ですし、それを欠いた福祉の実践はどんどん先細っていくことが危惧されてなりません。何より、この国では障害者は障害を抱えたまま生きることが保障されない状況が生み出されようとしている。自立とは経済的自立のみではなかったはず。社会が人への関心や配慮を面倒なこと、不必要なこととして無視し始める時、まっさきにそのターゲットになるのが障害者です。この国の福祉はどこへ行こうとしているのだろう。次回のニュースレターでも引き続きこのことを考えてみようと思います。


この国の福祉は何処へ行こうとしているのだろう part2
それいゆニューズレターNo16 2006.5.8より

 前回の巻頭言で思わず自分の中からでてきたこのフレーズをタイトルにしたものの、Part1としたからにはPart2だよなあとぼやきながら、この1ヶ月あまりのめまぐるしい時間の中で何をどう言葉にしたらいいのか考えていました。つい先日、精神保健福祉士協会北海道支部の春期研修会で向谷地さん(北海道医療大学教授、浦河べてるのソーシャルワーカーでもあり北海道支部の支部長をされています)と自立支援法のことでおしゃべりした際に「この法律をどう逆手に取るか」という話が出ました。
 自立、就労、訓練。精神障害を抱える人にとって自虐的な言葉となりかねないこうした法律の中核にある文言に囲い込まれ、利用者も私たち援助者も萎縮してしまわないためには、逆手にとるぐらいの逆転の発想が必要なんだ。向谷地さんの言葉にはそんな意図と、困難や逆境さえも“おもしろがってしまおう”というおおらかさがありました。浦河ではこの法律の施行を受けて当事者による起業がちょっとしたブームになってきているというエピソードもべてるらしいなと思いました。最近向谷地さんが初めての単著でお出しになった『べてるの家から吹く風』(いのちのことば社)を読みながら、徹底的に差別・排除されてきた精神を病む人の傍らで力なくへたりこみ、その状況の悲惨さを共に笑うしかないという援助者自身の無力さから“弱さを絆に”という新しいつながりが生まれてきたことを思い出しました。
 前回も触れましたが、社会の中に自分の居場所や役割を見いだしていくためには単に集える“場”があればいいということではありません。そこにはさまざまに自分と同じ、あるいは異なるものを抱えながら生きようとする他者の存在が欠かせません。それまで名前すら知らない人が同じ空間に漂う空気、緊張や安堵等雑多なものを孕む空気を感じながら過ごします。そのなかで少しずつ、その空間を共有している人たちから投げかけられる関心、時にはいたわりや労いなどが双方向に行き来するようになっていきます。誤解や妬みが軋轢や衝突までに膨らむことも含め、そこにはこれまで彼女達が避けてきた人との親密な関係を育む土壌が出来上がっていくのです。
 スタッフは利用者の相互交流を媒介したり、打ちひしがれる人に寄り添ったりしながら彼女達が向き合おうとする現実を一緒に見据えます。どんなに求めても親からの過不足ないケアは得られないという事実や自分を傷つける人との関係から離れる勇気。くすりや酒の酔いで大きく見せようとしてきたちっぽけな自分や、期待に応えようと過剰な適応が息切れした時に襲ってきた虚しさなど、彼女達がこうした現実と向き合うことを“訓練”という言葉で表現するには違和感があります。なぜなら、彼女達が向き合おうとする現実の多くは私たちもまた背負いつつ、けれど潰れずに働き続けることでやり過ごしているものではないでしょうか。適応できるのは私たちが強いからではなく、いくつかの偶然が作用しているからではないのだろうか。彼女達の現実は私たちの社会が抱える歪みでもあり、だとすればそれに再び適応を求めるべくその現実を見つめることが大切=訓練という図式は、決定的に大切なものを欠いていないでしょうか。
 それは「この社会は本当に適応するに足りうるものなのか」をまず批判的に検証することや「人の幸せなありようとはいかなるものか?」を追求するといった福祉がもつべき哲学です。
 さまざまな生活の困難を抱える人たちが集える場には、お互いがかけがえのない人として尊重され相互に関係が育まれる土壌と、何よりそれを支える考え方がなくてはいけない。援助者はその考えを支えによき働き手になろうと努力します。効率的な援助というかけ声や機能的に見えるケア計画といった言葉によって、その大切な考え方について話し合おう、確かめ合おうとする意欲がかき消されてしまうことを怖れます。
「この国の福祉」はどこへ行こうとしているのだろう?誰のための自立なのかが曖昧ななか、また働くことこそが自立なのか、一人暮らし=自立なのかが議論されないなか、それいゆではまだこの新しい法律を逆手にとるほどの力はなく、書類の整理に追われる毎日です。