芭露百年のあゆみ

第13章 芭露地区の観光
第14章   選  挙
第15章 表 彰 等

昭和の小漁師top  TOP 第1・2・3章 第4・5・6章 第7・8・9章 第10・11章 第12章 第13・14・15章 第16・17・18章 


第13章 芭露地区の観光

● 観光資源  芭露には、サロマ湖やミズバショウの群生地、御園山公園などのほか、隣接した志撫子に遊園地ファミリー愛ランド・ユウがある。オホーツク海沿いの観光地を結ぶ中継点でもあり、特に夏場、観光客の通過が多くなっている。
 また、地場のかき&スノーフェスティバル、ビーフ&ワインフェスティバルが町外にも浸透しつつあるほか、全国から愛好者が参加するサロマ湖100kmマラソン、オホーツクサイクリングのコース上にあり、これらイベントに住民が協力、芭露の致命を広める絶好の機会になっている。

 ● サロマ湖
 網走国定公園に含まれる北海道最大の湖、国内では琵琶湖、霞ヶ浦に次ぎ3番目の広さを誇る。北緯44度、統計43度、周囲90km、面積ku。地平線と水平線を交差する砂州によって、オホーツク海と隔てられている。
 文豪・大町桂月が1921年(大10)秋、サロマ湖を訪れ、オホーツク海とサロマ湖の境界となる砂州の織りなす道を「竜宮街道」と名付け著書に残した。その後、湖口開削により砂州は分断されたが、竜宮街道にちなみ「竜宮台」と名づけられた。
 開削により湖水は塩分を含んでおり、外洋の魚介類も入ってくる。海面養殖の北限でもあり、ホタテやカキの養殖が盛ん。湖畔の山手側は、ミズナラ、イタヤ、カエデ、シナの樹など広葉樹が分布。浜辺にはハマナス、アヤメ、エゾスカシユリなど、湿地にはサングソウが群生している。
 夏場はキャンプや海水浴、冬は流氷見物など四季を通じて観光客が訪れている。

 ● 御園山
 サロマ湖と芭露市街を一望できる小高い丘。住民が守り、育てた芭露の観光資源の一つであり、その歴史は古い。
 芭露小学校の2代目校長・弦巻千代三時代(大9〜14)、同小学校の裏側にあった丘陵地が見晴らしがいいので、笹を刈って道をつけ、「御裏山」と呼称したが、一般には浸透しなかった。
 1944年(昭19)所有者の佐川子之吉(札幌に転出)がこの丘陵地を部落に寄贈した。法人格のない部落は所有権登記の対象とならず、町と協議して町有地とした。
 1954年(昭29)5月部落が同丘陵地の名称を公募し、応募作10数点を審査した結果、茂手木一夫の「御園山」(みそのやま)に決定した。
 茂手木は1952年(昭27)芭露の住民がサクラの名所・五鹿山に足を運んでいる状況をみて、じもとにもかっこうの資源があると。この山に構想を描いた。その後、自身が中心となり、住民に寄付や労力奉仕を募りながら、構想の実現を目指した。
 のちに住民組織(御園山公園整備促進協議会、美化推進委員会、御園山公園化期成会)が公園化を推進。老人クラブも協力した。
 1959年(昭34)あずま屋建設、1962年(昭37)部落民がサクラを植樹、1963年(昭38)と1973年(昭48)登山路を造成した。1973年(昭48)にこにこクラブが厚生大臣表彰を記念して、サクラ110本、ツツジ160株、ナナカマドなどを植樹。憩いの場としての機能を高めていった。
 さらに、1975年(昭50)当時、芭露農協組合長越智修の寄贈により、エゾヤマザクラ150本を植樹、1979年(昭54)アンズ、クリ、ソメイヨシノ、サクラソウを植樹するが生育状況は悪かった。しかし、その後も植栽、樹木の手入れを続けた。この間、1970年(昭45)島田梅十の歌碑が御園山に建設された。
 そして1983年(昭58)湧別町が開基100年記念事業として町費9,800万円を投入して公園化に着手。造成工事をした上で、遊歩道、バーベキューハウス、展望台、遊具施設を設置し、御園山公園が誕生。1984年(昭59)5月20日開園式が行われた。
 御園山公園祝賀会実行委員会(岩代学会長)の主催による祝賀会も同日、同公園を会場に住民はじめ、関係者ら300人が出席して開かれた。
 御園山は3町3反(3,27ha)余りの広さで、海抜185m、標高41m、現在、芭露地区の各種イベント会場になっているほか、頂上からはサロマ湖、オホーツク海さらに阿寒、知床連山を遠望できる景勝地でもあり、住民の憩いの場となっている。

 ● ミズバショウ
 芭露の国道沿いにミズバショウが1,5haにわたり群生している。5月初旬から白い花を咲かせ、沿道を彩る。ミズバショウはサトイモ科の多年草、別名ヘビのマクラ。湿地や湿り気のある原野、水辺に群生している。葉がバショウに似ていることからこの名がついた。花の白い部分は、葉の変形で苞(ほう)といい、花びらではない。葉は背後に伸びて巨大になる。

 ● アッケシソウ(サンゴソウ)
 サロマ湖畔鶴沼のアッケシソウの群落は北海道の文化財に指定されているが、芭露地区のサロマ湖岸にも自然発生している。アカザ科の塩湿地産の植物で、厚岸湖で始めて発見されたことから、この名称がついた。肉質の草木、枝は対生し、円形型の関節があり、長さ10cmから30cmに成長する。葉は節部に小さく、燐片状につく、花は葉のわきに8月ころに咲く。春夏は緑色、秋にはサンゴ色になるので、サンゴソウともいわれている。

 ● ファミリー愛ランド・ユウ
 サロマ湖周辺唯一の遊園地、ファミリー愛ランド・ユウは1985年(昭60)志撫子に開設された。サロマ湖を眼下に一望できる絶好のロケーションにあり、かんらん車やゴーカートなど各種の遊具のほか、林間の遊歩道を整備している。町内近隣はもちろん、広く網走管内各地からの利用者が多い。
 また、地場の素材を生かした料理を提供するレストラン、地場産品を販売する物産館もあり、湧別の味や物産情報を発信している。

 ● かき&スノーフェスティバル
 1957年(昭62)から2月にばろうかき出荷組合と芭露郵便局が中心となり、特産の芭露のカキを広くPRし、観光宣伝に役立てようと実施している。カキを格安で販売しているほか、楽しい催し物を企画、町内外から大勢の来場があり、カキの販売コーナーには、長蛇の列ができるほど盛況。

 ● ビーフ&ワインフェスティバル
 芭露自治会と湧別商工会芭露師部の共催により、1989年(平1)から毎年5月御園山の山開きを兼ねて実施している。会費により飲み食べ放題で牛肉の焼肉とワインなどを味わう趣向。ビールやワインの計量飲み比べやビンゴゲームなどアトラクションも企画し、住民が交流を深めている。

 ● サロマ湖100kmウルトラマラソン
 湧別町ー常呂間のサロマ湖周辺100kmを走破する大会で、7月下旬に実施されている。湧別、佐呂間、常呂の3町などにより開催。50km、100kmの2部門で健脚を競う。1995年(平7)には10回記念としてシンポジウムも開かれた。同年は同内外から1,456人がエントリーし、1,096人が完走した。このコースは国際陸上競技連盟公認コースでもある。

 ● インターナショナル・オホーツクサイクリング
 雄武町から斜里町までのオホーツク沿岸の市町村などにより7月中旬に開催されている。自転車で沿岸212kmを2日間にわたり走破するもの。1995年(平7)の第14回大会には同内外から1,523人がエントリーした。
● 湧別町観光協会  1956年(昭31)湧別町観光協会が結成された。湧別町が行っていた観光事業や施設を受け継ぎ、町担当部局と連携のもと、観光PR活動の推進、広域観光ルートの開発促進、特産資源活用の研究、観光資源の保全管理などの活動を推進している。
 協会発足以前及び以降の芭露方面やサロマ湖を中心にした観光事業は、サロマ湖一帯の道立公園指定(昭25)、サンゴ岬など湖畔8ヵ所の遊覧拠点の選定・名称化(昭26)、サロマ湖内ヨット施設の増設(昭30)、遊覧ボートと芭露二軒橋など桟橋の整備(昭31)、サロマ湖畔アッケシソウ群落の天然記念物指定(昭34)、網走国定公園誕生によるサロマ湖一帯の編入(昭33)、遊覧船の購入(昭34)など、
 平成7年度の会員は146人。芭露では、鰹髞興業、叶田商店、清水隆二、佐藤 誠、鎌田一男、泣vラザ為広、ばろうかき出荷組合、鬼越 昇、太田豊行、工藤 勉、椛セ田商店、芭露郵便局、芭露農協、大口恵子、越智 修、大槻 勝、田宮秀幸が会員になっている。

第14章 選 挙

● 町長選挙  芭露から2人の町長が誕生
 芭露からは2人の湧別町(村)長が誕生している。大口丑定と清水清一である。
 大口は1947年(昭22)4月5日の第1回村長選挙に立候補し無投票当選、初代公選村長となった。同選挙以前では村会で村長が選任されていた。同年以降は地方自治法により村民の直接選挙で選ばれるようになった。
 1951年(昭26)の改選では大口と宮崎宏の一騎討ちとなり、4,149票対1,820票で大口が再選。2期8年間、首長を努めた。
 清水は1951年(昭38)5月無投票で初当選。1967年(昭42)、1971年(昭46)1975年(昭50)、1979年(昭54)の選挙で再選、通算5期20年間、町長の要職を務めた。
 唯一選挙戦となった1975年(昭50)は清水、村上庄一、相沢隆治の三つ巴の戦いとなり、清水が2,072票、村上1,860票、相沢が630票の結果で、清水が再選された。
●遠軽地区初の代議士  島田琢郎
 島田琢郎は1972年(昭47)12月の第33回衆議院選挙で、北海道5区に社会党公認、農民連盟後援で立候補、87,210票を獲得し、2位で初当選。遠軽地区初の代議士が誕生した。以来。連続5基14年間、農民出身の農政通代議士として活躍した。
 第34回選挙(昭51)では88,145票、第35回選挙(昭54)74,045票、第36回選挙(昭55)78,606票、第37回選挙(昭58)71,955票を獲得し再選。第38回選挙(昭61)では68,509票で次点。
 政界を引退した島田は、自宅周辺の農地や山林を活用したオホーツク山村体験の里の代表として活動。現在(平7)、政党関係では日本社会党中央規律委員会委員、同網走地区協議会顧問、北見地区農民同盟顧問、全道庁網走支部顧問を務めている。
●町(村)議会選挙  1906年(明39)湧別村に2級町村制が施行。初めての村会議員選挙が6月1日に行われた。芭露から議員が誕生するのは1910年(明43)の第3回村会議員選挙以降。
 ◇明43・6・1   本間省三
 ◇明45・6・1   内山之成
 ◇大 3・6・1   庄司喜三郎
 ◇大 7・6・1   庄司喜三郎
 ◇大 9・6・1   庄司喜三郎
 ◇大11・6・1   長屋喜市
 ◇大13・6・1   大口丑定
 ◇大15・6・1   大口丑定
 ◇昭 3・6・1   大口丑定、庄司喜三郎、島崎卯一
 ◇昭 7・6・1   島崎卯一、大口丑定
 ◇昭11・6・1   大口丑定、島崎卯一
 ◇昭15・6・1   島崎卯一、大口丑定
 ◇昭22・4・30  島崎卯一、内山繁太郎、清水清一、大沢義時
 ◇昭26・4・23  清水清一、大沢義時
 ◇昭30・4・30  清水清一、越智修、大沢義時、内山繁太郎
 ◇昭34・4・30  清水清一、越智修、大口秀和、中沢初子
 ◇昭38・4・30  石田達雄、大沢博、小沢虎一、中沢初子
 ◇昭42・4     越智修、如沢次郎、島田琢郎
 ◇昭46・4・25  如沢次郎、島田琢郎、越智修
 ◇昭50・4・27  小林国雄
 ◇昭54・4・27  如沢次郎、島田喜一郎、小林国雄
 ◇昭58・4・24  島田喜一郎、小林国雄
 ◇昭62・4・26  清水隆二、小林国雄
 ◇平 3・4・21  清水隆二、田宮秀幸
 ◇平7・5・2    清水隆二、田宮秀幸

第15章 表彰等                   top

● 名誉町民  ● 大口丑定   初の公選村長
 1957年(昭32)開町60周年記念式典の席上、初の公選による村長を務めた大口丑定に名誉町民の称号が贈られた。湧別町の名誉町民第1号である。
 大口は1878年(明11)10月26日新潟県蘆ヶ崎村(津南町)生まれ。新潟県師範学校卒業後、教職に就き、同県中魚沼郡大井平小学校校長を教職の最後に、1909年(明42)芭露に移住。翌年から内山牧場の管理人を務めたのち、1929年(昭4)大口牧場を開設した。
 内山牧場時代は、牧場の運営に尽くす一方、乳製品の製造や乳牛飼育を奨励する酪農経営の先駆的存在だった。大口牧場開設後も北見地方の酪農奨励に陣頭に立って奔走。酪農地帯の基礎づくりに手腕を発揮。”酪農の大口”と尊敬された。
 牧場の管理・経営の傍ら、1924年(大13)から23年間、下湧別村村会議員を務めたほか、東湧産業組合組合長、下湧別村産業組合組合長、下湧別村農業会会長など、各種の農業団体の役員を歴任し、農業のリーダーとして活躍した。
 1947年(昭22)初代公選村長に無投票当選、1951年(昭26)再選を果たし、2期8年間、村(町)長を努めた。村(町)長時代は、地方自治の確立・発展に尽くし、湧別漁港の構築促進、登栄床漁港の完成、漁湧別提携による組合立湧別高等学校の開校促進、医療機関や交通機関の設立、観光事業の開発など、まちの振興に尽力した。
 長年にわたり、芭露、湧別のために貢献してきた大口は、1960年(昭35)5月13日死去、83年の生涯だった。葬儀は町葬により、同16日芭露小学校で執り行われた。午後1時に1分間消防のサイレンを吹聴、住民が黙とうをささげた。
 1963年(昭38)故大口丑定翁顕彰協賛会が大口の功績を後世に残すため、湧別町役場前に顕彰碑を建立した。当時の北海道知事・町村金五による題字「顕彰」と友人・島田梅十による碑文が刻まれている。

 ● 清水清一  5期20年間町政を担当
 町長在職中の1983年(昭58)1月2日、心筋梗塞により、72歳で死去した。長年の功績を讃え、町から名誉町民の称号が贈られた。
 清水は、1910年(明43)3月15日、湧別村北兵村生まれ。1924年(登栄13)上湧別尋常小学校卒業後、家業の農業に従事。兵役後、ハッカ農家の先頭に立って産業組合運動に参画。1933年(昭8)東湧産業組合青年連盟を組織し理事長に就き、網走管内産業組合青年連盟の委員長も務めた。
 1940年(昭15)下湧別村産業組合の専務理事となり、軍隊に招集された1943年(昭18)まで努めた。1945年(昭20)下湧別村農業会副会長、芭露農業協同組合の理事、専務理事を経て、1953年(昭28)組合長に就任。農協経営に手腕を発揮し、上芭露農協、計呂地農協との合併、近代化施設の導入など、芭露蓄膿業の基盤確立に貢献した。
 この間、1947年(昭22)から1963年(昭38)まで4期16年間、湧別町(村)議会議員を務めたのち、1963年(昭38)町長選挙に立候補し当選。以来連続5期20年間の長きにわたり町政に携わり、産業経済の基盤の確立、福祉の向上、生活環境・公共施設の整備、教育文化の振興など湧別のまちづくりに貢献した。
 1983年(昭58)12月、清水の偉業を讃え、後世に伝えるため、故清水清一殿顕彰協賛会が顕彰胸像を町民憩いの広場に建立した。元・道知事、衆議院議員の町村金五による「讃偉業」の銘板が彫り込まれている。同協賛会は残金150万円を「清水清一顕彰協賛会文庫」の資金として町教育委員会に寄付した。
● 叙 勲  ● 島崎卯一   1960年(昭35)勲五等瑞宝章
 1916年(登栄5)11月から、1960年(昭35)8月まで、芭露郵便局初代局長を務める傍ら、下湧別村(湧別町)森林組合長、区長、村会議員、村農会長、信用組合長の要職を歴任した。
 森林組合長は13年間努め、この間、造林面積の拡大や樹苗栽培などの業績が認められ、林野庁長官表彰、農林大臣表彰を受けた。郵便局関係でも全国特定郵便局長会理事、北海道特定郵便局長会会長の要職にあった。

 ● 清水清一   1983年(昭58)勲四等旭日小綬賞
 芭露で家業の農業に従事し、下湧別産業組合専務理事、下湧別村農業会副会長、芭露農業協同組合長理事として、農業の振興に尽力。町議会議員を4期努めたのち、1963年(昭38)から1983年(昭58)まで、5期20年間の長きにわたり、町長を務め、湧別町の進展に貢献した。

 ● 樋口久郎   1984年(昭54)勲六等瑞宝章
 1941年(昭16)8月から43年間、農林水産統計調査員を務めた。この間、農林水産省、総理府、北海道などが所管する64回の統計調査に携わり、その業績が認められた。
 また芭露第2区長、選挙管理委員会委員、民生児童委員、司法保護司、PTA会長など、公職も多く努め、地域の振興に尽力した。

 ● 越智 修   1985年(昭60)勲五等瑞宝章
 十勝農業学校卒業後、札幌で研修し、1928年(昭23)芭露に帰郷し農業に従事。1963年(昭38)から1985年(昭60)まで22年間、芭露農業協同組合長として地域農業の発展に尽力した。
 この間、ホクレン農業協同組合連合会副会長、北海道農協乳業副社長などの要職をこなし、道内農業の振興に尽くした。また町議会議員、農業委員、教育委員などの公職も務め、地域振興に尽くした。

 ● 佐藤浅次郎 1985年(昭60)勲六等単光旭日章
 1944年(昭19)下湧別村警防団に入団以来、1984年(昭59)退任するまで40年間、分団長、副団長として先頭に立ち、数多くの火災予防や団員の指導に携わり、災害の防止や被害の軽減など、功績が認められた。
 1971年(昭46)の芭露の住宅火災では、副団長として的確な判断と指揮により人命救助にあたり、1人の生命をとりとめるという経験もしている。

 ● 松村千代一  1985年(昭60)勲七等青色桐葉章
 1950年(昭25)網走開発建設部に奉職し、1985年(昭60)まで、35年間道路工として尽力。道路整備一筋の功績が認められた。
 就職当初は馬車の「輪だち」の修理に明け暮れた。20kmも離れた現場に自転車やオートバイで通い、乗りつぶしたオートバイは5台という。

 ● 小林国雄   1988年(昭63)勲六等瑞宝章
 1975年(昭50)から1988年(昭63)まで4期約13年間、湧別町議会議員を務め、この間、産業建設常任委員会、社会文教常任委員会、特別養護老人ホーム建設特別委員会の各委員長などを歴任、町の振興に尽力した。
 また、1964年(昭39)から1985年(昭60)まで21年間、湧別町商工会副会長を務めた。

 ● 如沢次郎   1988(昭63)勲五等瑞宝章
 1955年(昭30)から1975年(昭50)まで5期20年、1979年(昭54)から1983年まで1期4年の通算6期24年間、町議会議員を務めた。この間、産業建設常任委員会、総務財政常任委員会の各委員長などを務め、町の振興に尽力した。
 また、開拓農協組合長、町農業委員会委員、芭露農業協同組合理事などを歴任した。

 ● 大沢義時   1993年(平5)勲六等瑞宝章
 1947年(昭22)から1959年(昭34)まで3期12年間、町(村)議会議員を務め、社会文教常任委員会委員などを務め、教育振興、へき地医療対策に力を注いだ。
 また、交通安全協会芭露支部支部長を長年務め、地域の交通安全運動を推進した。

 ● 佐藤 弘    1994年(平4)勲五等瑞宝章
 元芭露小学校校長。1993年(平5)4月赴任し、翌年7月死去した。在任期間は湧別町教育目標策定委員会会長など教育関係の公職にあった。教員歴は1953年(昭28)から39年3ヵ月の長きにわたり、児童の健全育成、学校運営に尽くした。

 ● 辻 行雄    1944年(昭19)勲三等瑞宝章
 1891年(明24)8月久留米市出身。1934年(昭9)東京大学教授、1949年(昭24)東京教育大学(現筑波大学)農学部長で停年。1972年(昭47)芭露に移住し、1974年(昭49)3月死去した。
 この間、1943年(昭18)勲四等瑞宝章、1944年(昭19)勲三等瑞宝章、1974年(昭49)従三位を受けた。
 
● 各種表彰  ● 岩代 学
 PTA活動振興に対する文部大臣表彰(昭46)、日本PTA表彰(昭51)、地域医療功績、社会貢献に対する道知事表彰(昭49,昭63)などのほか、1994年(平6)3月第22回医療功労賞(主催 読売新聞)を受賞した。文部大臣表彰と医療功労賞の受賞に際しては、地域住民による発起人会が祝賀会を開き、受賞を祝うとともに功労を讃えた。
 岩代は小樽生まれ、北大医学部卒業後、北大付属病院、釧路市立病院を経て、1960年(昭35)10月から湧別町直営国民健康保険芭露診療所(湧別町芭露診療所)に奉職。以来、芭露地域の医療に携わっている。
 来芭のきっかけは、湧別には母方の実家があった関係から無医の芭露の診療所への赴任依頼を受けて、1955年(昭30)6月、1年の約束で在住した。
 その後、釧路市立病院勤務時代に再び赴任の要請を受け、開業や院長の夢もあったが、「どうせやるなら無医地区で」と決断した。馬そりやスキーで往診したり、毎日手術をしたり、泊まり込んでの術後管理の日々もあった。
 地域医療に心血を注ぐ傍ら、芭露小学校PTA会長、網走管内PTA連絡協議会会長、北海道PTA連合会副会長、北海道教育振興会副会長、湧別町青少年問題協議会副会長、湧別町総合開発計画審議会副会長などを歴任し、地域振興にも尽力。
 湧別町人づくりセンター医院、湧別町体育協会会長、芭露自治会相談役なども務め、地域おこしのリーダーとして活躍している。
●開町(村)記念式典表彰  ●開村40周年記念式典(昭12)
 大口丑定(自治功労者)、島崎卯一(同)

 ●開村50周年記念式典(昭22)
 島崎卯一(自治功労者)、内山繁太郎(産業振興功労者)、小湊金吉(同)、長屋嘉一(同)、越智頼義(同)

 ●町制施行記念式典(昭28)
 島崎卯一(自治功労者)、大口丑定(同)

 ●開町60周年記念式典(昭32)
 大口丑定(名誉町民条例第1号)、大口丑定(自治功労者)、清水清一(同)、越智修(同)、大口秀和(消防功労者)、小湊金吉(同)、石田義雄(同)、久保武男(同)、島崎卯一(産業功労者)、豊島幸之進(同)、田宮亀松(同)

 ●開基100年記念式典(昭57)
 大口丑定(特別功労者)、島田琢郎(同)、清水清一(同)、樋口久郎(自治功労者)、越智修(産業功労者)、西川治六(同)、小林国雄(同)、小池清(同)、山中春男(民生功労者)、鎌田一男(同)、大崎竹茂(同)、佐藤誠(同)、小湊金次郎(同)、岩代学(保健衛生功労者)、佐藤浅次郎(防災消防功労者)、石田義雄(同)、小野一男、天野トメ、田川七太郎、田川セイ、田宮亀松、田宮ユキノ、原田ヤノ、板東慶蔵、板東キクエ、水野末吉、村尾嘉郎、村尾チヨコ、茂手木一夫、茂手木正恵、竹中るい(以上永年開拓功労者)

 ●開基110年記念(平4)
 石本武、石本スヱコ、井上さだ子、梅津ヤヱ、大口正輝、尾関ハスエ、梶原武夫、加藤ウメヲ、木戸政雄、木戸キヨノ、久保武雄、小湊金次郎、近藤ヨシ、今野ゑの、島田平次郎、清水香、如澤次郎、諏訪間治吉、竹中忠男、多田藤雄、中村としゑ、長野春吉、橋本花枝、樋口ソノ、平井倉一、平井ツネ、前川勇、三浦花子、吉田明義(以上永年開拓功労者)
●町表彰条例に基づく表彰


























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 ● 1964年(昭39)
 大沢義時(町議12年)、清水清一(町議16年、農業委員12年)、越智修(農業委員13年、消防団員29年)、如澤次郎(農業委員17年)、長屋鉄次郎(民生委員13年)、中沢猶何時(選管委員8年、教育委員8年、消防団員6年)、木村速雄(消防団員18年、統計調査員15年)、伊藤時次郎(統計調査員15年)、樋口久郎(同23年)、脇山勇(同15年)、吉田春義(同17年)、小沢虎一(消防団員26年)、根布谷秀雄(同22年)、佐藤浅次郎(同20年)、今井良一(同18年)、大崎武夫(同15年)、石田義雄(同27年)、福沢満(同22年)、金田一春次郎(同18年)、滝田重司(同17年)、小倉与志三(同17年)、武藤国光(同18年)、久保武雄(同27年)、阿部正博(同17年)、長屋正美(同18年)、田川定吉(同15年)、桑原覚(同15年)、伊藤宣尚(同21年)、山崎竹近(同12年)、小湊金一(同26年)、菅辰雄(同12年)、大口秀和(同26年)、岡本竹蔵(同16年)、可知利郎(同15年)、高橋仙二(同14年)、井上吉雄(同15年)

 ● 1967年(昭42)
 如沢次郎(町議12年)、中村実(消防団員12年)、小湊薫(産業団体20年)、小池清(同)、菅野清三(同)、井上良夫(同)、竹中英雄(同)、井口文雄(同)、伊藤時太郎(同)

 ● 1968年(昭43)
 両瀬幸作(消防団員12年)、越智修(産業団体役員15年)、村上勇(産業団体職員20年)

 ● 1969年(昭44)
 阿部昭一(統計調査員13年)、清水清一(産業団体役員15年)、如沢次郎(同14年)、長田政雄(産業団体職員20年)、高橋昭司(同)

 ● 1971年(昭46)
 越智修(町議12年)、田宮孝明(統計調査員12年)、尾山昌巳(団体職員20年)、西坂仁四郎(寄付)

 ● 1972年(昭47)
 島田琢郎(農業委員12年)、河村寿雄(同)

 ● 1973年(昭48)
 岩代学(学校医12年、国保運営委員12年)、山中春男(里親15年)、長野治六(同12年)、鎌田一男(同)、茂木昌(産業団体職員21年)

 ● 1974年(昭49)
 大口正輝(統計調査員12年)、中塚武夫(同)、鬼越昇(消防団員12年)、松原政一(牧野管理人21年)、西岡梅次(産業団体職員20年)

 ● 1975年(昭50)
 板東栄(農業委員12年)、松原静夫(消防団員12年)、河村寿雄(同)、佐々木弘人(産業団体職員20年)

 ● 1976年(昭51)
 大口秀夫(消防団員12年)、三浦清志(統計調査員12年)、樋口久郎(選管委員12年)、井野トキヨ(保母21年)、刈田亘一(団体職員20年)

 ● 1977年(昭52)
 樋口久郎(区長12年)、平井倉一(民生委員12年)、清水隆二(消防団員12年)、尾関良一(同)、島田辰雄(同)、田宮秀幸(同)、佐藤定夫(納税組合長15年)、小林国雄(森林愛護組合長17年)、木村幸雄(団体職員20年)

 ● 1978年(昭53)
 東海林豊(消防団員12年)、小湊勲(団体職員20年)

 ● 1979年(昭54)
 石田立幸(納税組合長15年)、中原一登志(団体職員20年)、後藤千枝子(同)

 ● 1980年(昭55)
 野原大三(消防団員12年)、竹中博幸(同)、竹中輝男(同)、竹田達男(同)、加藤助(納税組合長25年)、尾関義一(町有林監視人15年)、樋口久郎(青少年問題協議会委員16年)、高嶋秀男(団体職員20年)、林敏子(同)

 ● 1981年(昭56)
 村上努(消防団員12年)、内山敏幸(同)、岩代桂子(交通安全指導員12年)、小林国雄(商工会理事20年)、山川保男(同監事20年)

 ● 1982年(昭57)
 小野修次(消防団員12年)、尾形敬二(同)、本田勝樹(団体職員20年)、松原静夫(同21年)

 ● 1983年(昭58)
 樋口秀明(消防団員12年)、久保隆幸(同)、工藤勉(同)、野村勇一(統計調査員12年)、多田祐一(同)、清水香(多額寄付)、長屋勝雄(団体職員20年)

 ● 1984年(昭59)
 内山幸一(農業委員12年)尾関義一(統計調査員12年9、長田洋之(消防団員13年)、清水香(多額寄付)、松田一夫(産業奨励、乳量日本記録)、佐藤定夫(団体役員20年)、山口秋寿(団体職員20年)、小野好造(同)

 ● 1985年(昭60)
 嶋田喜一郎(団体役員20年)

 ● 1987年(昭62)
 小林国雄(町議12年)、草野芳樹(消防団員12年)

 ● 1988年(昭63)
 如沢次郎(多額寄付)

 ● 1989年(平1)
 石田義雄(自治会長12年)、川田勝輝(交通安全指導員12年)、加藤章憲(日本水難救済会湧別救難所所員21年)、井上光男(同)

 ● 1990年(平2)
 岩代学(教育文化功労賞、湧別町体育協会会長22年)、小関稔(自治功労賞、交通指導員12年)

 ● 1991年(平3)
 芭露綱引き同好会(奨励賞、北見地区農協共済綱引大会2年連続優勝他)

 ● 1992年(平4)
 洞口幸雄(自治功労賞、消防団員12年)、太田留治(産業経済功労賞、湧別町商工会役員20年)

 ● 1993年(平5)
 島崎正也(教育文化功労賞、教育委員12年)、鎌田則夫(自治功労賞、消防団員14年)、野村欽治(同、同12年)、多田明雄(同、同)

 ● 1994年(平6)
 今井昭良(自治功労賞、交通指導員12年)

 ● 1995年(平7)
 板東守(自治功労賞、消防団員12年)、為広司(同、同)