無題 投稿者:さうろん ★e3 投稿日:2009年01月01日(木) 18時33分 第75號 | |
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孟子集注卷四 公孫丑章句下 (公孫下・1)
孟子曰、 「天時不如地利、地利不如人和。 三里之城、七里之郭、環而攻之而不勝。 夫環而攻之、必有得天時者矣。 然而不勝者、是天時不如地利也。 城非不高也、池非不深也、兵革非不堅利也、米粟非不多也。 委而去之、是地利不如人和也。 故曰、域民不以封疆之界、固國不以山谿之險、威天下不以兵革之利。 得道者多助。 失道者寡助。 寡助之至、親戚畔之。 多助之至、天下順之。 以天下之所順、攻親戚之所畔。 故君子有不戰。 戰必勝矣。」
[書き下し文] 孟子曰く、 「天の時は地の利に如かず、地の利は人の和に如かず。 三里の城、七里の郭(かく)、環りて(めぐりて)これを攻むるも勝たず。 夫れ(それ)環りてこれを攻むるは、必ず天の時を得る者あるべし。 然り而して勝たざる者は、是れ天の時地の利に如かざればなり。 城高からざるに非ざるなり、地深からざるに非ざるなり、兵革堅利(へいかくけんり)ならざるに非ざるなり、米粟(べいぞく)多からざるに非ざるなり。 委してこれを去るは、是れ地の利人の和に如かざればなり。 故に曰く、民を域る(くぎる)に封彊(ほうきょう)の界(さかい)を以てせず、国を固むるに山渓の険を以てせず、天下を威するに兵革の利を以てせざるなり。 道を得たる者は助け多く。 道を失える者は助け寡なし(すくなし)。 助け寡なきの至りは、親戚もこれに畔き(そむき)。 助け多きの至りは、天下もこれに順う(したがう)。 天下の順う所を以て、親戚の畔く所を攻むる。 故に、君子は戦わずして。 戦えば必ず勝つのみ。 」
[口語訳] 孟子がおっしゃった。 『(古代の諺に)「天の時は地の利に及ばない、地の利は人の和に及ばない」と言う。 三里の本丸、七里の外城、これを包囲して攻撃しながらも勝てない。 包囲して城を攻める時には、攻め手の側は吉凶を占って運の良い方角を決め、攻めるに相応しい天の時を得ているはずである。 それなのに勝てないというのは、天の時は地の利に及ばないということである。 城壁は高くないはずはなく、城の堀は深くないはずがない、武器や甲冑が鋭利堅固でないはずはなく、米や粟(あわ)などの食糧が乏しいはずはない。 (城を守る側の準備は十分にあるはずなのに)城を捨てて退却するのは、地の利が人の和に及ばないということである。 そのため、「国民を国境によって出入りを規制することは出来ず、国家を山川の険しさによって守ることは出来ず、天下を軍事力の強さによって威圧することは出来ない」という。 正しい道理に叶った者は援助する者が多く、 道理を見失った者は援助する者が少ない。 究極に援助が少なくなってしまうと、親戚も反抗して離れるが、 究極に援助が多くなれば、天下でさえもその人に従うことになる。 天下に従われる有徳の君子(王者)が、親戚にさえ裏切られる不徳の君子(覇者)を攻めるのだから、 有徳の君子は戦わずして勝てるし、 戦えば必ず勝つことは明らかなのである。』
[解説] 天候や日時の吉凶を利用して攻めるのは有利ではあるが、 地形の利を得て要害堅固なのには及ばない。又いかなる有利な地形も、 人心の一致和合には及ばない。 |
| Re: 無題 さうろん ★e3 - 2009年01月01日(木) 18時35分 第76號 | |
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諸葛孔明は色々な著作を残したが、 その中で預言書『馬前課』が最も注目されている。 一課が一つの時代を指し、わかりやすいのである。
(1) 第一課 陽陰陰陰陰陽 (三国) 無力回天,鞠躬盡瘁。陰居陽拂,八千女鬼。 「釈」:「無力回天,鞠躬盡瘁。」は諸葛孔明が自分自身のことを指し、劉備を補佐しても漢を復興させることはできないが、全力を尽くすというのである。「八千女鬼」は併せると「魏」という字で蜀が魏によって滅びることを指している。
(2) 第二課 陽陰陽陽陰陽 (魏晋南北朝) 火上有火,光燭中土。稱名不正,江東有虎。 「釈」:「火上有火」は「火火」で「炎」になり、司馬炎が魏元帝の禅譲を受け、晋を樹立し、「江東有虎」は八王の乱の後、首都が建康に移ったが、建康が地理的に「江東」である。
(3) 第三課 陽陰陰陰陰陰 (晋から隋へ) 擾亂中原,山河無主。二三其位,羊終馬始。 「釈」:「擾亂中原,山河無主」は「八王の乱」の時期は多くて五胡十九国になり、乱世が続いたことを指す。「羊終馬始」はこの時代は馬すなわち司馬家族に始まり、「羊」の中国語発音はyangで楊の発音と同じであることから楊氏により滅び、楊氏によって隋が形成する。
(4) 第四課 陰陰陽陰陽陰 (唐) 十八男兒,起於太原。動則得解,日月麗天。 「釈」:「十八男兒」は「十八」を併せると「木」で、「男兒」は「子」を指すことから「木子」を併せると「李」である。「起於太原」は李氏が「太原」で反乱をおこすことをさす。「動則得解」は則天武后の政治をさす。
(5) 第五課 陽陽陽陰陰陰 (五代十国) 五十年中,其數有八。小人道長,生靈茶毒。 「釈」:「五十年中,其數有八」は五代の50年あまりの八姓氏が統治したことを指し、「小人道長,生靈茶毒」は戦乱による乱世を指す。
(6) 第六課 陰陽陽陰陽陽 (宋) 惟天生水,順天應人。剛中柔外,土乃生金。 「釈」:「惟天生水」は宋を指す。五行説によれば土は水を克し、土から生まれる金すなわち金(朝)は宋(朝)の克星(勝ちにくい敵)である故、「土乃生金」である。宋代に人々は色に溺れ、中国の歴史上最も軟弱な国であった。しかし、国内の民衆に対しては厳しく、すなわち「剛中柔外」である。 (7) 第七課 陰陽陰陽陽陰 (元) 一元復始,以剛處中。五五相傳,爾西我東。 「釈」:「一元復始」は元朝の始まりを指し、「以剛處中」はモンゴル人の漢族に対する統治が厳しいことを指し、「五五相傳」は元朝の皇帝は「五五」併せて「10人」であることを指す。「爾西我東」はモンゴル人が西、東への領土を広げることを指す。
(8) 第八課 陽陽陰陰陰陽 (明) 日月麗天,其色若赤。綿綿延延,凡十六葉。 「釈」:「日月麗天」は「日月」併せて「明」朝を指し、「其色若赤」は「赤」が紅色を指し、「朱」も紅色を指すことから、明朝の皇帝の一族が「朱」氏であることを指す。「綿綿延延,凡十六葉」は明朝の皇帝が十六人であることを指す。
(9) 第九課 陽陰陽陰陰陰 (清) 水月有主,古月為君。十傳絶統,相敬若賓。 「釈」:「水月有主」は、「水」は「シ」偏で、「シ主月」あわせて「清」朝のことをさす。「古月為君」は「古月」あわせて「胡」で古代中国は少数民族のことを「胡」と呼んだ。「十傳絶統」は清朝の皇帝が「十」人で、「宣統」皇帝で終わることを指す。「相敬若賓」は民族差別をおこなった元のモンゴル人の統治と違って、満州族の統治は漢民族に対して融和政策であったことを指す。
(10) 第十課 陰陽陰陽陰陰 (中華民国) 豕後牛前,千人一口。五二倒置,朋來無咎。 「釈」:「豕後牛前」、「豕」は「豚」の別名で、辛亥革命が1911年に起き、この年が豚の年で、1913年が牛の年である。「豕後牛前」は1912年、すなわち、1912年2月13日清の皇帝が正式に退位した。千人と一つの口すなわち「千人口」は「和」で中国の歴史上初めて共和国が成立する。「五二倒置」は古代君主が「九五の尊」であるが、「共和国」は民に権力を戻すことからその前の制度とは逆であることをさす。「朋來無咎」は国際上、国が軟弱なゆえ、侮られたり、侵略を受けることを指す。
(11) 第十一課 陽陰陽陽陰陽 (中華人民共和国) 四門乍辟,突如其來。晨鶏一聲,其道大衰。
(12 )第十二課 陰陽陽陽陽陰 拯救患難,是唯聖人。陽復而治,晦極生明。
(13) 第十三課 陽陰陰陽陽陽 賢不遺野,天下一家。無名無徳,光耀中華。
(14) 第十四課 陽陰陽陰陽陰 占得此課,易數乃終。前古後今,其道無窮。 |
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