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all that's jazz: 「障害学」を読んでいて

以下の本を読んでいて感じた事を綴ってます

障害学の講演録も出版されています

障害学を語る
[参考ページ : 障害学を語る』刊行]
ちなみに僕の考えを以下のページに載せてます。
参考資料 :
以下、サイトナビ。目次に飛ぶ |
Google

"徒然なるままに"を含む指定語句をwww.phoenix-c.or.jp内で検索します。


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障害学への招待

第1章 障害学に向けて---長瀬 修

「障害者」「障害」をどうとらえるのか。「障害学」障害者側から社会学を再構築する学問。ここでもいろいろな視点があるようで、
「同じ人間」として「障害者」を「健常」と同一に語る。
「個々人」の違いを語る。
「障害者」は「独自な世界観を持った人間」として語る。
どのスタンスに立つかで見方が変わってきますね。

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第2章 障害、テクノロジー、アイデンティティ---石川 准

この頃、僕が感じている在宅ワークは障碍者にとってプラスなのか。この点にも触れられていました。結論言えば、ネットワーク活用し、生活に役立てようという事です。バーチャルな世界がアクセシビリティとなったとしても一歩外へ出れば、バリアだらけ。 そんな世界を危惧されてもいました。

価値の多様化が言われる現代、それぞれの考えをアピールし、外へ出た、人とふれあえた記録を積み重ねれば、面白くなるのじゃないかな。

そして、今のパソコン至上主義は人間にとっても大きな社会問題になると思う。

人間は楽な方へ流されるからね。けれどもその楽さが人間の身体をむしばむのも事実。

「インターネットなんかしていないで外に出る時間を作りましょう」

この大元の考え方は寺山修司が70年代安保闘争で頭でっかちになった社会運動に対して、「書を捨てて街に出よう」と呼びかけたのが始まり。それが障碍者運動に派生し、障碍者にとって「街に出よう」とは何なのかという部分から、「そよ風のように街へ出よう」となった。石川さんはこの流れを踏まえ、「パソコンは味方なのか」という発想になったのだと思う。

だから、僕はあえて「インターネットでオフラインの有効性」を語りたくもなりました。

パソコンはある意味、ギャンブルです。「2001年宇宙の旅」のHAL(IBMのスペルのそれぞれ一文字前を連ねたコンピューターの名前)のようにパソコンに支配されない生き方見定める事が「障碍」克服に繋がると思いますよ。

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第3章 自己決定する自立◇◇なにより、でないが、とても、大切なもの---立岩 真也

そうは言っても「自立」という言葉で札幌でも何人もの人が死んでいる。

「自立運動」が盛んになり出し、年金も倍額支給になった時、それに群がるサポーター達、「自立」に夢抱く障碍者。結果、組織に属さない人が亡くなり、組織を作った人は食い物にされた、補助金目当てのサポーターは思うように補助金が入らず自死した人もいた。

行政と地域障碍者団体の結びつきもこの頃からでしょう。個々人は組織に入らなければ何も出来ない状況も出来上がっていった。

だから、僕自身は「自立」という言葉、凄く抵抗ありました。「自立」がもてはやされた時、無理して亡くなられた方、いましたし。「自主性」と言いたいですね。

「自主的」に動けるかどうか、それが重要であると思います。

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第4章 「障害」と出生前診断---玉井 真理子

第5章 優生思想の系譜---市野川 容孝

優性思想の歴史については「なんで文明と対峙させないのか」非常に疑問。「福祉社会」「近代的個人主義」「自然」それぞれ対峙する関係にありながら「優性思想」を是認している。けれど、「文明」というベクトルを入れれば、如何に安っぽい「優性思想」なのか判るはずなのに。

「文明の代償」として現代病、交通事故が起こっているのだから。

ここでぶーたれてもしゃーないか。。。。(笑)

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第6章 ろう文化と障害、障害者---森 壮也

第7章 聾教育における「障害」の構築---金澤 貴之

「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」―これが、私たちの「ろう者」の定義である。これは、「ろう者」=「耳の聞こえない者」、つまり「障害者」という病理的視点から、「ろう者」=「日本手話を日常言語として用いる者」、つまり「言語的少数者」という社会的文化的視点への転換である。」

「ろう文化宣言」を知り、自分自身の認識の甘さ、痛感しました。心して付き合わなければ。(といっても今までと変わんないんだけど)

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第8章 異形のパラドックス◇◇青い芝・ドッグレッグス・劇団態変---倉本 智明

日本の場合、「青い芝」が口火を切ったけれど、時期早く、「差異性」を主張するのみで終わり、「活用」まで展開できなかった。その延長線上に「障害者プロレス」や「劇団態変」の活動があり、「ろう文化宣言」がある。

おそらくは荒川さんの企業戦略もこの路線の中で語れるのではないかと思います。

#ただ、「障害学への招待」読む限りでは「青い芝」の延長にしか過ぎず、共感持ち得ませんが。

障碍者映画の古典「フリークス」こちらは凄い映画です。

「文明」と「障碍者」の相関関係、考えたい気分。
おそらくはアメリカ・アクセシビリティにたずさわる「障碍者」はここにビジネスを思い描いたのでしょうから。

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第9章 歴史は創られる---花田 春兆

えびす曼荼羅

足は行かねども天が下の事すべて知れり

一本足の案山子さん

弁天をのぞけばあとはかたわなり

言われてみれば、七福神、それぞれ。

恵比寿さんを祭る蛭子神社。
元をただせば、イザナギ、イザナミの最初の子供、脳性麻痺を思わせる重度障碍のヒルコの生まれ変わりたる共通項。

これら伝承民話の語り部達が障碍、高齢だったゆえ、絡められたとか。

漢文入り混ぜた「平家物語」とて、盲目の琵琶法師の功績。
「風林火山」に描かれる山本勘助、「次郎長」でお馴染み、森の石松とて、不具の男。

日本語では清音濁音、区別曖昧になる事も多々あり、「ふく」と「ふぐ」は同意語。商売繁盛の三頭身、福助は不具助?

時代遡り、昭和、「丹下差膳」「大菩薩峠」「座頭市」やはりみなさん、不具な英雄。

いつから「ふぐ」と「ふく」が別物になったのか。興味深いものですね。

日本文化も捨てたものじゃない。(笑)

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第10章 障害学から見た精神障害◇◇精神障害の社会学---山田 富秋

あとがき

「障害学への招待」読み終えました。

「障碍」を否定せずに肯定する考え方。

「自立」運動、優性思想、ろう文化、脳性麻痺の活動、歴史に見る障碍者、精神病治療のあり方。

これらについてそれぞれ語られ、問題がどこにあるのかその問題こそが「差別」なのだと言う事。

障碍者がその身体を否定して、「現代」にあわせて果たして良いのか、「バリア・フリー」「ユニバーサル」「アクセシビリティ」下手すれば、上のそれらは実現する事でさらなる「バリア」を作る。

障碍者側の更なる提案が求められ由縁でもある。石川さんは最後にこのような事を書き、締めくくられています。

引き続き、「障害学の主張」読もうと思っています。

えんとこ 遠藤さんの詩が僕は正しいと思います。

「バリアフリー」「ユニバーサル」「アクセシビリティ」そこに何故障碍を持たれた方々が関わるべきなのか。

昔、語り部達が大見得切って、「足は行かねども天が下の事すべて知れり」と語り、「祇園精舎の鐘の音 諸行無常の響きあり」とシニカルに権力を語ったのか。

ありのままの命にカンパイ!!

君が今やりたいことを、まっすぐに人に伝えながら、
出来ないことは、みんなに手伝ってもらって、堂々と生きてゆきなさい。
先回りして、人がどう思うだろうかとか、これはいけないことではないかとか、
勝手にひとりで考えてやめてしまう必要なんかないんだよ。
自分から逃げていては、何も始まらない、
そうして、自分が決めてやったことの結果を、
どんなことでもすべて自分で生かしていったら、
その時はきっと、いつの間にか、ますますすばらしい君になっているだろう。
それは、人に迷惑になるどころか、逆に人と人とが直接、
そのいのちを生かし合って生きる、
本当の人のあり方を、君に関わる全ての人に身をもって示して、
それを実現してゆくことになるんだよ。
だって、君はひとりで勝手に何かをやってゆくことなんてできないだろう?

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障害学の主張

第1章 「ディスアビリティの削減、インペアメントの変換」---石川 准

「障害学の主張」石川さんの論文を読んでいて、
社会的モデル・・・社会が障碍になるケース
身体的モデル・・・身体的に障碍になるケース
そのあり方を述べているのですが、例えば「ろう文化」をあげています。

ろう者は「聞こえない」のが当たり前で、人工内耳を拒むそうで「聞こえる事」を望んではいない。

また、肢体不自由などではリハビリによる「出来る」ようになっても社会は「出来ない」レッテルを貼り続ける。

社会的モデルがどんなに解決されたとしても身体的モデルは解決されない。身体的モデルを有効化する変換作業が必要なのではないかという事です。

もっと一般的な例で言えば、「せっかち」な人に「のんびり」作業した方が楽ですよと言っても、「のんびり」作業する事により、ストレスが生まれる。それを「社会」にあわせていくと体調にまで影響及ぶ。もっと個々人の「身体」にあった環境構築が必要なのではないか。

ストレス社会にも相通じる課題のように思いますね。

アクセシビリティという視点から考えると後遺症による障碍と先天性障碍では見方が違ってくるようにも思います。

「見えていた」のが「見えなくなる」と「見える」感覚が判らない。
「聞こえていた」のが「聞こえなくなる」と「聞こえる」感覚が判らない。

多様な価値観を取り入れなければ、アクセシビリティもまたバリアになってくるのでしょうね。

アクセシビリティは必然であり、完全ではない。そこら辺をアピールした方がいいかも。価値基準を社会の物差しにされないためにも。

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第2章 「ないにこしたことはない、か」---立岩 真也

今読んでいる立岩さんの文章で
「チェルノブイリで事故があったりして、原子力発電所の建設・運転に対する反対運動が、 そう長い期間ではなかったが、盛り上がった。そしてその中で、放射能によって障害児が生まれるおそろしさが語られ、そしてそのように語られる事のおそろしさが感じられた」

ここから「障碍」「障碍者」がないにこしたことはない、か

死なず痛くなければよい、とはいえ、できるにこしたことはない、か?

できることは必要だが、私が、である必要はない

支払いをみると、他人にやってもらった方が楽なことがある

得たいものは、因習にこだわらなければ、さまざまに得られる、こともある

そこに肯定されてよい世界が現われ、そしてそれは障害であることと両立する

選択の幅が広い方がよいから、とも簡単に言い切れない

他方、周囲の人にとってはないにこしたことはない

禅問答のように展開させています。

立岩さんは支援費の際も以下のようにゲキを飛ばしています。生きた学問を目指すあたり、共感できる由縁です。

> お金のことを気にする人たち
> (役所、納税者…)に
> 長い時間の介助がいる人はそうたいしていないのだ
> (そうお金はかからないのだ)
> と言っていくことは、それが事実である限りで、
> 必要でしょうが、
> 
> 同時に、たしかに、1日4時間ぐらいではどうにも
> ならない人がいるのだということをきちんと示していく必要がある。
> 
> 介助がなければ死ぬというような切迫した
> 話ばかりをしたくはないし、さしあたり死なない人にとっても
> 要るものは要る、と言うのが正しいのだと思いますが、
> しかし、事実、死ぬ人がいるし
> もう死んだ人がたくさんいるわけで、
> こういうときに、マスメディアの本領である
> 扇情主義、感傷主義、現場主義が発揮されなくてどうするのだ、
> と言いたいのです。
> 
> この間の報道にしても、
> 一部にはなかなかよいものもありましたが、
> そういう部分についての言及がない。
> なんだかじれったいので。
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第3章 「障害者を嫌がり、嫌い、恐れるということ」---好井 裕明

障害者の人権白書なるものがあるそうで、「障害学」では明らかに障碍者とあまり接した事がないような人が論説しているのですが、優越感強い人は障碍者がいなくとも見下す相手を捜すでしょうね。

それよりも先日、テレビニュースでやっていた
万引き死亡事故:被害の書店が閉店へ 市民の非難受け謝罪文も
2chでも議論になっているこのニュースの方に現代の怖さ、感じています。

現代の魔女狩りとも言える。

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第4章 「欲望する、<男>になる」---倉本 智明

続く、障碍者のセクシャリティは読んでいて、80年代に出逢った「ラブ」「私は女」などでの「人間宣言」懐かしく思い返してます。

札幌の小山内さんなんかも重度障碍で未婚の母と騒がれてましたっけ。

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第5章 「声を生み出すこと─女性障害者運動の軌跡」---瀬山 紀子

「障害学」セクシャリティ、ジェンダー、障碍者の運動はこれを軸に動き出しました。

それまで井戸端会議的なコミュニティだった障碍者グループ「青い芝」が70年横浜の障害児殺人事件で「母よ!殺すな!」と抗議活動はじめ、「障害者殺しの思想」として有名な宣言文を発表。

日本脳性マヒ者協会全国青い芝の会行動網領

80年前後の「自立」運動と相まって、それまで暗黙の了解とされていた施設内での「子宮摘出」の是非論争。

(「私は女」より)

手術の後、寮長や職員に「えらいわねえ」っていわれたの。寮長も職員も、おんなじ女なのに、私の気持ちなんか、なーんにもわかんないくせに、私がどんな思いで手術したのかわかんないくせに「えらいわねえ」っていわれたのがすごくくやしくて、 悲しかった。

「みんなもあなたみたいだったらいいのにねぇ」っていわれて事実、私が手術して以来、(生活施設のなかで)ドドドッというかんじで手術する人が増えたのね。

その後、優生保護法による子宮摘出合法化、管理社会下の自己決定が生んだ悲劇。

88年八王子で障碍者を両親に持つ子の自殺によるマスコミの「障碍者の両親支えた高一自殺」報道に対する抗議。

激しく揺れ動いた運動の中、自立生活センターでは閉鎖された障碍者の性をピア・カウンセリングという障碍者同士がお互いの話を否定せずに聞きあう試みもなされているとの章は締めくくられています。

別な視点として、
高橋伴明という映画監督が水俣病を題材にピンク映画を撮ってもいます。

兄と二人暮らしの水俣病で白痴となった娘が近所の男たちに遊ばれ、性欲の快楽を覚え、兄に快楽を求めるというもの。

近親相姦を誰がとがめられるでしょう?
悪いのは近所の男たちですか?
白痴となった娘ですか?

関連ページ:
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第6章 「所属変更あるいは汚名返上としての中途診断 ─人が自らラベルを求めるとき」---ニキ リンコ

障碍を成人になって知る。

アスペルガー症候群という自閉症の方の報告を読み、自閉の奥深さ、知りました。そして、その症状を漠然としか把握できない僕は違うなとも思った。

障碍を成人になって知る。

ケース違うけれども僕も障碍を知ったのは成人してから。大学卒業、就職時、今のハローワークで、「障害認定して貰えるはず」といわれ、15歳の時からかかっていた神経科で認定して貰いました。

その時の気持ちは複雑で、病名聞かされた時は本屋で医学事典を調べ、自分がどんな病気なのか確かめました。

アスペルガー症候群の方のような安堵感はなかった。「自分の居場所が見つかった」といわれるこの障碍(病気ではない)それは今まで「健常者」として「何かが違う」と悩み続けた方の安堵というけど、そうすると僕の場合はなんだったのか。僕を取り巻く環境に恵まれていたのか、単なる僕の鈍感性か。ただ、利き手が開かず、どもりがあるだけと思っていた自分。やはりどこかで障碍者を別物としてみていのかも知れません。

その後、脳のレントゲンなんかでこの黒い部分が死んでいるんだよといわれても別に動揺しなかったけれど。(少ししたか。。。)

「障害認定」されて安堵する「障碍」ある事を知りました。

#別問題として、片目失明した友達なんかで病院側が「障害認定」したがらない話聞いた事もありますね。

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第7章 「能力と危害」---寺本 晃久

「障碍」の境目がどこにあるか判らなくなった次の章は明治・大正時の「危害」論議を読み返し、「障碍」が如何に絡み取られ、転化されていったか語られています。

「富国強兵」の元、「犯罪者」の分析の中でその基準軸として、「障碍」が組み込まれ、「知能」レベルの基準を下げる事により、少数に絞り込め、「障碍」が「危害」を加える論理が出来上がり、更には「障碍」に対する「保障」を間接的な「危害」とする事により、「優生学」が有効と考えられるようになったらしい。

その思想が今も生き続けているとするならば、恐るべき論理ですよね。

今の日本の社会福祉の思想の根元、知りたい気がします。

英語ではimpairment(個人の特質)がdisability(社会的機能的な支障)となる時、handicapとなるとされ、disabilityを取り除くべきとされています。

#その後、解釈が若干変わっては来てますが。

これらの英単語の区別が日本語にはない!

いっその事、「健常」などなくして、各人「障碍」持ち合わせ、特に「障碍」著しい方々から学ぶ社会福祉、構築されればとも思いますね。

#今夕の新聞に「姥棄て」思想は「姥」の知恵の大切さの暗示という記事がありました。

テレビワイドショウで
「将来の望み与えぬ国のやり方はおかしいけれども(子供を産まないではなく)子供に夢を託しませんか」
インパクト弱いと思うけど、結局はそうなんでしょうね。

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第8章 「インペアメントを語る契機 ─イギリス障害学理論の展開」---杉野 昭博

「障害学の主張」最終章はイギリスの障害学を通し、日本の障碍者運動との違いを検証するというもの。

先の「impairment(個人の特質)がdisability(社会的機能的な支障)となる時、disabilityを取り除くべき」がイギリスではどのように変化していったのか。

まずはdisability(社会的障碍)がなんであるか取り組まれ、「障碍者が医者を必要としているのではなく、医者が障碍者を必要としている」とする「社会モデル」を提示し、「障碍者のための」サービスは「善意の第三者」であるタテマエではなく、「商品」を提供するのであるから障碍者は「消費者」であり、利害関係が成り立つとする。 そして、テクノロジーで言っていけば、人工内耳は「医療モデル・テクノロジー」であり、手話を音声化したり、音声を手話映像化するものを「社会モデル・テクノロジー」とする。

つまりは障碍者側から価値を提言する動きが現れ、ここから「障碍者による」サービスDPI(DISABLED PEOPLES INTERNATIONAL)の活動が始まる。

続いて、impairment(個人的障碍)と向き合い、「健全者幻想」ともいうべき「障碍は不幸」を「障碍を価値あるもの」へと変換する作業へと発展していっている。

それに比べ、日本の動きは「健全者幻想」から始まったがために、肝心のdisability(社会的障碍)が語られなく、リハビリテーション学にしても「五体不満足」にしても健全者側を和ませこそすれ、障碍者やその家族にまでは十分届かない、いつまで経っても「障害者殺し」が起こりうる社会になってしまっている。

著者は日本の社会構造を事細かに問い直さなければならないと書き納めています。

「バリアフリー、ユニバーサルデザイン、アクセシビリティ」でも特定の環境のみを考えたものに施すやり方と利用できない環境から構築するのとでは180度違う。

あとがきでもこのように語られ、あるべき「障害学」が見事、主張されています。

障碍持たれた方達の個々の価値観が発揮できる環境と障碍持たれた方達各自の自己主張、求められていると思うのですが、如何でしょうか?

長きに渡り、「障害学」2冊読み、感じた事を書き綴りましたが、お役に立てられ、「障害学」に興味もたれればと思っています。

#僕の読書は石川准さん「人はなぜ認められたいのか」へと続きます。

お勧め本を読んでいて 2003-02-05 著作 2003-06-22 更新
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