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ECサイトのお勧め商品カタログ|映画好きのBS/CSガイド

みんな貧乏が悪いんや

From 2004-06-03(木)
To 2004-07-29(木)


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狂い咲き


うちの父ちゃん 暗いうちから遅うまで
毎日靴をとんとんたたいてはる
あんなに一生懸命働いてはるのに
なんでうちの家 いつもお金がないんやろ
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
そやで お母ちゃん家を出て行かはった
岡林信康「チューリップのアップリケ」より
[アルバム『狂い咲き』(1971年作品)収録]
iTunes Music Store チューリップのアップリケ(iTunesインストール済みで利用可能です)

ボルヘス『砂の本

「鴉を思ひ見よ、播かず、刈らず、納屋も倉もなし、然るに神はこれを養ひたまふ、汝ら鳥の優るること幾許ぞや。」
砂の本』三十派の「ルカ伝12章24説」引用

日本の悲劇は貧しさからのがむしゃらが功をそうし、むちゃすれば乗り切れるという錯覚に陥っているという事だろう。

自然の他にコンピューターというルールが生まれた時代、がむしゃらで乗り切れない事に気付くべきでしょう。

がむしゃらは転ぶ人は立ち上がれると思い込む。理屈ではなく、人間がどうにも出来ない、自然の摂理、コンピューターの摂理があるのです。

それを理解するには相互扶助、他人を思いやる仔細さが必要になる。

すれ違う人に配慮するのは何も思いやりだけではない。相手が刃物を持っているかも知れない自衛でもある。

弛緩した社会は福祉にむかわず、銃社会にむかう。アメリカ銃社会は利益追求の末路でしょうが、弛緩した社会のお手本を日本は世界に示しているのかも知れない。

バベルの塔、ソドムとゴモラと続き、次はノアの箱船でしょうか?地球上に日本という土地があり、我々が生きている。今一度、日本人のホジションを確認したいものですね。

地球 地球よ
おまえがどれほど遠い存在であれ
どれほど過ち多き旅人であれ
おまえを忘れることは決してないだろう
カエターノ・ヴェローゾ「Terra(テーハ)[地球]」
ムイト』初演

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風詩

岡林信康「なんだか分かぁんない!?」


人は不便さを抱え生きるものであり、病気、怪我、老化、最終的には死。避けられないこれらに対し、社会はその不便さを阻害してはいけないと思うのだけど、みんな、奪い合うのが好きなのかしら?やっぱし、なんだか分かぁんない

岡林信康御大、来月、札幌でもライブあり、楽しみです。

社長さん、ゴッホの絵を買って、倉庫にしまい込み、
近頃、半値で手放した、一度も見ないまま。
なんだか分かぁんない

オッさん、でっかい家たてた、天井にシャンデリア
冬には家族がそのスミで、ホーム炬燵です
なんだか判ぁんない

田圃の真ん中、大ホール、パイプオルガンだ
自慢じゃないけど、鳴ったのはこけら落としだけ
なんだか分かぁんない

そこまでお出かけする時も、車のお嬢さん
お金を払って、ジムへ行き、自転車こいでます。
なんだか判ぁんない

おばはん坂道、汗流し、自転車、押しながら、
ケイタイ電話で話している、とっても不便そう
なんだか分かぁんない

豊かに便利になりましょう。ボケましょ、酔いましょ
まだまだ色々あるけれど、ここでサヨウナラ
なんだか分かぁんない

岡林信康「なんだか分かぁんない!?」
アルバム『風詩』(1998年作品)

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LOVE OR NOTHING

エゴ社会


新聞記事に「高松塚の白虎像が著しく劣化、文化庁が積極対策講じず」

日本の精密技術の文化は何処に行ったのでしょう?
あれだけ騒いだ「オウム事件」後遺症調査も何も行われていないというし、目先の欲のみで、愛する大地、愛する隣人、どうでもいいという事なのでしょうかね?

アフィリエイトをやっていると「母の日」「父の日」「お中元」と日本の消費文化、贈答文化が未だ健在の感もありますが、土建屋さんと高利貸しが日本を駄目にしていくのかなとも思ったりして。

「憲法」論議も目先の欲の票稼ぎのような気もしますし、貧乏根性、叩き直さにゃ、「自分のまいた毒、飲むでぇ」と言いたくもなる。

ゲーム、パソコン、ケイタイで視力・色覚障碍。ヘッドフォンステレオでの聴覚障碍。花粉症で嗅覚障碍。添加物で味覚障碍。ファーストフードで下あごの退化。伴う消化器発育不全。車社会の足腰の退化。それに伴う血行不良。

エゴ社会は国民総だるまさんを目指すのかしら。
だるま和尚に怒られる?

望みは果てしなく何処へでも毒をまく やがて自分の飲む水とも知らずに。
中島みゆき「風にならないか」より
[アルバム『LOVE OR NOTHING』(1994年作品)収録]

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「老優たちの日々」

街頭で蝉時雨がなき始めた日、撮り溜めてあったテレビドキュメントのビデオ「老優たちの日々」(1986年作品)を見ました。

戦前、戦中から現代まで名脇役として活躍された老優たち。仲間が次々と他界し、ある方はセリフを覚えにくくなり、ある方は持病と闘いながらも現役として、役者でいようとする。

「こないだ黒澤先生の『生きる』を観てたら、死んだ奴を数えちゃったよ」花澤徳衛はいう。その花澤徳衛の家に集まり、麻雀をする老優たち。花澤徳衛を誉めながらも「麻雀は別ですよ」と語る大滝秀治。「いっつもふりこんじゃうんだよ」負けたのは浦辺粂子。黙々と相づち打つ殿山泰司。

「素人は黙ってろ!」仕事の話に口挟む奥さんを叱る加藤嘉。墓参りに行きたがらない浜村純。他界した藤原鎌足さんの想い出を語る笠智衆。

若い頃から老け役をやってこられた方々の老後。死と向き合い、精一杯生きる方達は今もどこ彼処に存在する。

街頭の蝉時雨がなき止み、生き残った者たちが死にきれなかった吸血鬼の如く、今生きる老優たち、そして、明日の老優たちの生き血を吸う悪夢が繰り返されない事を願いたい。

「金を持ったからとて、幸福も心の平安も増すわけではない事は、誰でも承知していたのです」
ボルヘス『砂の本』「疲れた男のユートピア」より

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人生いろいろ

島倉千代子人生いろいろ


曽我さんの幸せが日本の幸せのよう思えてくるこの頃、
数週間前の川で溺れた遺体を流すテレビ映像はショックでした。
とうとう日本のマスコミも地獄に堕ちたかと。

川で溺れた遺体がマスコミ関係者自身の親族でも日本のマスコミは流すのだろうなぁと。

死んでしまおうなんて 悩んだりしたわ
バラもコスモスたちも 枯れておしまいと
髪を短くしたり 強く小指をかんだり
自分ばかり責めて 泣いてすごしたわ
ねぇおかしいでしょ 若いころ
ねぇ滑稽でしょ 若いころ
笑いばなしに 涙がいっぱい
涙の中に 若さがいっぱい
人生いろいろ 男もいろいろ
女だっていろいろ 咲き乱れるの
島倉千代子「人生いろいろ」より

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ウポポ サンケ

合掌


今日、突然、パソコンのキーボードが利かなくなりました。慌ててDellのサポートページを見ると以下の対処法。

  • コンピュータの電源を一旦切ります。
  • コンピュータから、バッテリとACアダプタを取り外します。
  • そのままの状態で1分〜3分程度放置します。
  • コンピュータにバッテリとACアダプタを装着し、コンピュータの電源を入れます。現象が改善されているか確認してください。

治りました。(笑)
いかれたテレビをたたくような処方。。。
パソコンも所詮は普通の機械。そんな機械に縛られている人間って何なんだろうね。

今朝の新聞でアイヌの安東ウメ子さんが亡くなったのを知りました。合掌。

来週の今日は岡林信康のライブ。
忘れかけられている「人との絆」再確認できそうで楽しみです。

骸骨がまじめな顔してこう言った
どうせみんなくたばって おいらみたいになっちまうんだから
つまらぬ事にウロウロしないで 大事に大事に使っておくれよ
一度しかない おまはんの命
岡林信康「がいこつの唄」より
[アルバム『狂い咲き』(1971年作品)収録]

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わたしを断罪せよ

岡林信康「友よ」


友よ、夜明け前の闇の中で
友よ、闘いの炎を燃やせ
夜明けは近い、夜明けは近い
岡林信康「友よ」より
[アルバム『わたしを断罪せよ』(1969年作品)収録]

ついでに岡林の事を書くと、「友よ」。労組がこの歌を歌う事を非常な嫌った人。
岡林の歌は組織に利用された部落の人への歌。

人は山谷を悪く言う。だけどおれ達いなくなりゃ
ビルも、ビルも道路もできゃしねぇ。誰判っちゃくれねぇが。
岡林信康「山谷ブルース」より
[アルバム『わたしを断罪せよ』(1969年作品)収録]

奴隷船通勤のエコノミックアニマルたるサラリーマン・ソングにもなりうるのだけれども。(笑)

今、岡林は「山谷ブルース」の最後の歌詞を歌いません。
岡林がまた最後の歌詞を歌う日を待ち望みます。

だけど俺たちゃ泣かないぜ 働く俺たちの世の中が
きっと、きっと来るさそのうちに その日にゃ泣こうぜうれし泣き
岡林信康「山谷ブルース」より
[アルバム『わたしを断罪せよ』(1969年作品)収録]

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岡林信康「Mr.Oのバラッド」

岡林ライブから帰還。

岡林のオッちゃんは前半ギターにハーモニカのアコースティク、後半は和太鼓、南米のパーカッション、尺八、津軽三味線のエンヤトット。

80年代、ロック引っさげ乗り込んだイギリスで「お前のやってる事は単なる猿まね」と言われ、ガキの頃、牧師の息子が禁を犯して踊りに混じった江州音頭の快楽の記憶の封印を解き放つ決心をしたという代物。

そこは山谷の大通り 膝を抱いてた酔っぱらい
叱られたようにうなだれて コンクリートと話してた
大学飛び出たこの俺は 黙ってじっと見つめてた

いつも怯えた厚化粧 変わる景色に溶けはじめ
季節がふたつ巡るころ 無理をしなくていいんだと
何かに抱かれているようで ある日子供のように泣く
岡林信康「Mr.Oのバラッド」より
[アルバム『ラブソング』(1977年作品)収録]

自己批判繰り返し、辿り着いた歌リズム。
見に来ていた方達も履歴書背負った皺顔の団塊の世代。

等身大に生き抜くフォークの神様は小汚いアンちゃんから変なオッさんになってました。

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炎暑見舞い

炎暑お見舞い申し上げます。

けど、何故かお祭り好きのマスコミさん達も「公害」という視点でこの異常気象を騒ぎませんね。

東京のヒートアイランドは新聞によると汐留の高層ビル群が海風をさえぎっているためという見方もあるらしいのですが。

北陸の豪雨だって、地面のコンクリート化粧が災害を大きくしていると読めなくもない。

先の岡林のオッさんの話を振り返れば、フォーク、ロック旋風吹き荒れた70年代初頭、「公害」から「ディスカバー・ジャパン」という動きがあったわけで。

「遊園地」(ホセ・エミリオ・パチェーコ)
動物愛護の家族が遊園地でお弁当を拡げていると蟻や犬たちが寄ってきて、お弁当を分け与えると、蟻や犬たちはその家族までも食い尽くしてしまう。
ラテンアメリカ文学諸氏の短篇集『美しい水死人』収録

自然への怖れが先手かける事により、自然を下僕化したような錯覚を作り出していった。現代文明は反自然であり、その模倣を「列島改造論」以降、日本は行い続けてきた。

アメリカは世界を下請け工場化する政策を続けてきたのであり、今求められるのは「ディスカバー・ジャパン」なんじゃないのかなと。

異常気象は昨年の西欧の熱波、今年のペルーの大雪、日本の豪雨、高温と日増しにひどくなっている気がするのですが。

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岡林信康「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」

戦争の痕、ルーツ探し」まとめあげ、またまた岡林のオッちゃんネタ。

過去のアルバムをオークションで少しずつゲットしつつ、名曲とまたまた巡り会う。

「ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど」
尾崎豊を歌った歌だとか。

USENの音楽ダウンロードサービス『OnGen』でも一曲270円で落とせるよう。

若い歌い手が死んだ まだ26の若さ
彼は祭壇に置かれ ジェームス・ディーンになった
俺が歌に疲れ果て 山の村に逃げたのも
丁度同じ26 あれからもう20年

ジェームス・ディーンにはなれなかったけれど
生き続けることができてよかった

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徒然なるままに : 過去記事 2004-06-03 掲載 2004-07-29加筆
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