平成24年行事

1月

1日

初詣/歳旦祭

7日

どんどん焼き

2月

2日

厄払い

3月

20日

春の祈願祭、氏子総会

7月

14日

協賛行事  三校交流    行灯行列

15日

例大祭  こども御輿    

16日

子供相撲 出店   ビンゴ  

11月

23日

新嘗祭/勤労感謝祭  

12月

30日

年越し祭

31日

除夜祭

野田生神社由来

 明治26年、現在地に野田生神社を創設以来、大正14年、昭和44年、改築を進めて来ましたが、周囲が松の木で囲まれているため、腐食が激しく、応急措置でご神体の鎮座している部分のみ、修理することになりました。小島宮司のお払いのあと、一時的にご神体を移動、我々総代一同由緒あるご神体を拝見することが出来ました。
一つは15cm位の箱に収まっている丸い鏡、それには、白山明神、天照皇大御神、牛頭天皇と記されておりました。早速、野田生の歴史家である、河原 忠義さんへお願いし、検証して戴きました。河原 さんの大変なご苦労の結果、ご神体の親神社は愛知県春日井市の「白山神社」であると解明する事が出来ました。もう一つは10cm位の丸い鏡で、昭和14年西ガンビ岱より合祀されたご神体であると思います。(野田生神社、氏子160名、平成18年12月現在)

野田生神社の祭神について

歴史家 河原 忠義

 野田生開拓徳川家小作農民3代目の私が、85才の老骨に鞭打って是非とも解明しようと思い、偶々愛知県春日井市在住で元春日井市の市議会議員でもあり、春日井市のことに土地勘のある母方の従兄弟に当たる早川 知明氏の協力もあり、共に現役を退いた者同士が暇に併せて徹底的に探求することが出来た甲斐があって、概ねこれに間違いないとの核心を掴むことが出来たので下記の通り報告致します。
 地区の氏子が両手を合わせて、ひたすらに氏神様に何等かの加護を祈願しているのに「祭って有る神様」が判らないでは、参拝者に申し訳ないとの思いから、創建以来110年以上も経過している現在では、入植者の3代目も既に残り少なく、今誰かがこの事に携わらなければ、これは永久に不明に終わるのでないかとの危惧性も多分にあり、何が何でも俺が探し出してやるんだの気持ちで、このことに挑戦したのでした。以下順を追って説明致します。

@ 先ず調査の原点は野田生神社が昭和44年8月発行の「野田生神社の由来」に有ります。

A この由来書記載の第2項目の「明治25年2月長谷川儀三郎氏一家揃って入植の折春日井より御神体天照大神、対馬大神、白山神を奉遷し……」の3柱について解明にとりかかりました。 

1) 記載上先ず疑問に思ったことは野田生神社の「御神体」は創建以来、古老よりの言い伝えで「祭神3柱を刻んだ鏡」であるとのことだけに、神社と祭神が混同していることでした。

2) 天照大神は誰でも直ぐに伊勢の皇大神宮の祭神であることはわかります。ここで思考されることは、御神体とは人間の目で見ることの出来る物体であり、祭神は幻想的なもので実際に目で見たり、手で触ることの出来ないものです。
それで今回の祭神探しは逆に祭神を祭祀する神社探しにしました。

3) 白山神については誰が考えても白山神社であると推測されます。

4) 対馬大神については一番苦労しました。ここで発音が同じであるツシマを探したら津島神社が有りました。

5) 祭神を奉遷して野田生に安置された長谷川儀三郎氏の出身地が春日井とあるだけで不正確でしたので、長谷川氏の直系である和敏氏にお願いして儀三郎氏の除籍謄本を取り寄せて貰い調べたら、愛知県東春日井郡小野村大字松河戸字松河戸(現春日井市松河戸町)であることが判明しました。

6) 以上のことから長谷川儀三郎氏出身地近在の神社探しに入りました。先ずは由来書第3項に明治31年まで天白天神社と呼称したとありますので、松河戸村に隣接の旧勝川村、村社勝川天神社の祭神を調べたら天神社だけに筆頭祭神は菅原道真公であるのに、野田生神社には何処にも菅公の名前が出てないので、勝川天神社は諦めました。

7) 次に長谷川氏の出身地である松河戸村の村社、白山神社の合祀社並びに境内社を調べたのです。そうしましたら嬉しいことに数ある祭神の中から次の3柱を探し出すことができました。合祀社に「津島神社」があり、境内社に天照大神を祭る「神明社」がありました。なを祭神の由来については私の手持ち資料にある、各神社の祭神についての説明書を参考にしたものです。

白山神社の祭神は菊理姫命(くくりひめのみこと)です。
白山明神こと別名白山比眸神とも云う。全国の白山神社に祀られており、いざなぎ、 いざなみ、お二人の仲人役、又お二人のいさかいの仲裁の神。武の神であり、縁結びの神、安産平癒の神。

、津島神社の祭神は牛頭天王(ごずてんのう)です。
別名天王様とも云う。天照大神、須佐之男命の弟で祇園精舎の守護神、武の神であり、疫病除けに霊感あり、幼児加護の神。
  ここで天王様についてこんな一説も有ります。それは天王様は朝鮮から対馬島を中継して日本本土に飛来したとも言い伝えられ居り、野田生神社由来書にある対馬大神は間違いなく津島神社の祭神のことと思われる。                          

ハ、 天照大神はお伊勢様内宮、皇室の御祖神であり、日本人はこの神の広大な神徳を太陽の光になぞらえて信仰してきた。
以上のことから長谷川儀三郎氏の出身地の氏神である白山神社の1社に3柱の祭神があったことで野田生神社の親神社は紛れもなく、この白山神社であると断定したのです。このことは私に協力戴いた早川知明氏並びに現白山神社宮司伊藤文一氏も、私への書簡文中に確認されております。


早川知明氏より送られて来た写真です。



牛頭天王


八雲町の神社群

落部・東野方面