自分史


吾生けり『野田生』で八十有余年

   

河 原 忠 義


 人それぞれの人生の歩みは生活環境や性格が違うだけに一様では有りません。
私は今八十才を過ぎてどうにか元気で居られるのも、誰かが私に元気をプレゼントしてくれていると思っており、お負け(報奨)の人生を無駄にしないようにと心掛けております。
 ここ一、二年で体力の減退を痛感しておりますし、友達(同級生、同年兵)が大方他界しており、寂しさと、悲しさを覚えるようになりました。
同姓の従兄弟が二人近くに住んでいてくれてるものだから、些か心丈夫にしておりますが、彼の世へのお召しが確実に近づいていることだけは覚悟しております。それでも未だ二、三年は生きれるような気もして居ります。
 それだけに一日一日を大事に、悔いのない人生を送るべく、小さな一年先、二年先への希望に挑戦しながら大きな怪我(骨折)だけはしないように、車輌事故だけは起こさないように留意しております。それに今一つ心掛けていることはボケない、寝込まないための老化防止策です。それには自助努力しかないのです。規則正しい生活習慣と、三度の食事はしっかり食べること、自閉に陥らないように外に出て生涯学習に進んで参加することです。
 今ここで私の人生を徐に回顧してみると、六カ年の兵役を終え復員してから六十年になります。当時長男の宿命とも云えますが、母を独り残して故郷を離れることも忍びがたく、親の遺産のお陰で日暮らしは出来ましたが、若かっただけに何か仕事がしたくて,持屋を売って始めたのが海産物の簡単な一次産品を作る水産加工でした。然しこの仕事に取り掛かって三年ほどの昭和二七年春に、近くにあるガンビ岱地区の持山が総て山火事で焼失したので、一時水産加工を休業して植林に精をだしたのです。それが一転して日本海から鰊が姿を消したように、噴火湾から鯖、鰯、イカなどが漁獲されなくなり、大謀網の漁師も加工業者も転業を余儀なくされる事態になったのです。
 三十年になって私は運良く新聞の販売を申し受けることになり、その後十年後に友人を介して燃料(石炭、プロパン、灯油)販売を手掛けることになりました。田舎のこととて人を雇うほどの顧客もなく、私一人が外回り(販売、集金)で頑張りました。
家族であります一男一女の子供達も健康で明るく育ち、立派に社会人になってくれたことは、妻や母そして地域の皆さんからの御愛護と御鞭撻のお陰だったと感謝しております。
 三十年間取り組んだ自営業は後継者が居ないので六一年十二月で廃業しましたが、我が人生の最大の誤算は、私より五歳若い妻が病魔(難病)に犯されて、私を一人残して平成五年一月に不帰の客となったことでした。逆単身の生活も妻の入退院の六年を加えると、早くも二十年になります。
 さ てここで私が一九五○年代後半から一九九○年代前半の約三十年間に亘り、故郷『野田生』での地域自主団体との関わりは、総てボランテイアに徹したことで、自分の生活本業の傍らに、良くも頑張れたなあーと自己満足しております。
是も偉そうなことは云えません、妻の内助の功があったればこそです。平成二年の春の叙勲を受章したのを機に、妻の介護もあって主な公職は任期の来たものから順次辞退しました。
 私の地域に於ける公職歴の時代の推移は私の歴史の総てでもあり、生き続けた証拠だと思いますので次に列記することにします。

@会長職以外の雑職
▽S38、6,15  野田生神社祭典委員長
▽S39、10,6  野田生神社総代会総務 
▽S40、 8,1   野田生公園造成期成会総務
▽S42、 2,14 八雲町森林組合総代
▽S42、 7,9  野田生会館建設期成会会計
▽S42、 8,11 野田生海岸・農地保全対策促進期成会書記
▽S44、 3,6  野田生神社建設期成会総務
▽S47、 7,25 野田生小学校開校七○周年祝賀協賛会副会長
▽S49、 9,18 野田生墓地移転期成会副会長
▽S51、 7    野田生簡易水道建設促進期成会 副会長
▽S54、 8,27 ガンビ岱地区農道事業促進期成会副会長
▽S55、 6,19 野田生地区学校プール落成祝賀会副会長
▽H 3、 4,1  野田生警察官駐在所連絡協議会委員

A会長職
初 代

▽野田生四輪愛車クラブ会長
 S、40,4,5〜不詳解散
▽野田生地区子供会後援会連絡協議会長
 S、43,8,21〜50,4,6 解散
▽野田生警察官駐在所落成祝賀会長
 S、57,11,20
▽野田生開拓百年記念事業協賛会長
 S、61,8,6〜63,12,9 解散
▽野田生地区基盤総合整備事業促進期成会長
 S、61,8,21〜H、4,3,27 解散
▽野田生・東野地区青少年育成会長
 S、62,12,17〜不詳退職
▽野田生開拓百年記念大運動会大会長
 S、63,8,15
▽野田生地区生涯学習推進会議議長
 H、元、8,10〜4,5,14 退職

二 代 目
▽野田生会館運営委員会長
S、54,1,26〜58,1,21 退職
▽野田生地区体力育成会長
 S、54,1,21 〜58,7,12 退職

三 代 目
▽野田生中央町内会長
 S、37,4,〜H、元、4,16 退職(通算五期)
▽野田生三区納税貯蓄組合長
 S、48,5,7〜現在

四 代 目
▽野田生小学校P,T、A会長
S、36,4,20〜38,3,24退職
▽八雲町消防団第四分団(野田生)長
S、46,10,12〜57,4,9退職
▽野田生地区連絡協議会長
S、57,2,19〜H、3,3,6退職
▽野田生南部水道組合長
S、61,3,16〜現在

B私が関連した野田生地区の団体表彰
▽野田生中央町内会
 厚生大臣表彰・昭和四三年度環境衛生賞 S、44,1,17
▽野田生地区体力育成会
 渡島管内教育実践表彰 S、53,2,21
▽野田生地区生涯学習推進会議
 渡島管内教育実践表彰 H、4,2,29

C地区以外の公職・団体職歴
  国・道より任命・委嘱
▽国勢調査員
▽北海道統計調査員
 八雲町より委嘱
▽野田生三区健民推進委員
▽野田生三区嘱託員
▽民生委員推薦会委員
▽公民館運営審議会委員兼社会教育委員長
▽青少年問題協議会委員
▽教育推進委員会委員
▽消防団副団長
▽総合開発委員会副会長

Dその他よりの委嘱歴
▽日本赤十字北海道支部 八雲分区協賛委員
▽社会福祉法人 八雲町社会福祉協議会理事・副会長
▽八雲警察署 八雲町少年補導委員会副会長
  八雲町防犯協会理事
▽自 衛 隊 函館地方連絡部自衛官募集相談員
 道南地区自衛官募集推進協議会副会長
 八雲町自衛隊協力会理事

E自主団体の職歴
▽八雲町消防団職員OB会会長
▽八雲町叙勲・褒章友の会幹事長
▽八雲町公民館高齢者講座・遊楽部学園自治会長
▽山越円融寺庫裡建設委員会副会長
▽八雲町いきいきカレッジ運営委員長
▽八雲消防創設百周年記念協賛会副会長



自分史 平成8年完成




河原忠義さんの近影
 



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座右の銘