私の交通安全

 戦時中は近衛兵として勤務、自らの命をかけて国家の安泰・護持に専心、崇高な体験し、特に終戦時の玉音放送の録音版の捜索は今でも明晰に脳裏に焼き付いていると話す。
 運転免許を取得して45年、無事故無違反で来られたのも常に身の安全、命の大切さ、思いやりの心が染みついていたからこそ達成出来たと思う。戦後の食料難に立ち向かい、草地改良、基盤整備に取り組み、牛乳の増産、種芋馬鈴薯の一大産地を築いた基礎は馬鈴薯補助員としての近藤さんの卓越した指導力である。
 私も農家の時代、何度か馬鈴薯栽培の技術指導を受けたことがあります。旧八雲農協の役員、八雲農政協議会会長、道南農連酪農対策委員長等、数々の要職を務め、八雲の農業をリードしてきました。現在は山崎老人クラブの会長として活躍しております。

玉音放送の音声


                   

「私の運転免許雑感 」 

八雲シルバードライバーの会 幹事 近 藤 国 太 郎

 本年1月(平成18年)、私は自動車学校で3回目の高齢者講習を受講しましたが、21人の受講者を見渡すと私と同年齢は1人くらいでいささか心細さを感じたが一生懸命取り組みました。
 振り替えれば昭和36年、酪農業の必要性から免許を取得して以来、今日まで56年間人身事故は皆無で来たことをささやかな喜びと自負しております。                                          私にも思い起こせば苦い思い出があります。                昭和36年免許を取得してから20日も絶たないうちに接触事故を起こしてしまいました。その時は悩み乍ら自動車学校で何を学んだのか自省しました。結論として心技体が一致していないことに気づきました。         以後46年間車の座席に座ると精神の安定に努め、車の操作を連想し、最後の眼、手、足の健全性を確認することを習慣としました。        お陰様でこの事が今でも頭の中から離れず無事故に繋がっていると信じております。私も半寿の半ばですが心技体の一体感がなくなったら免許証を返納したいと思っております。                         最近八雲町内の交通事故が多発し、町外の知人等から問い合わせがありほろ苦い感じを致しております。 又私の先輩が2年前、軽い事故を起こして子供たちが「お父さんは車は駄目だ」と新車を処分してしまいました。 本人は活動的な性格でしたので、車が無くなると茫然自失状態で最近ボケ状態の様です。活動的な人が突然車を奪われ緊張感がなくなり精神的な弛緩が原因だろうと思います。
 高齢になってハンドルを握ることは緊張感を適当に感じボケ防止にもなり健康に最適で老化防止にもつながります。 シルバー会員の皆様も心技体の一致が有る限り車に乗り続けましょう。
 会員各位の安全運転と無事故を祈念して拙文を終わります。
      

平成18年4月