野田生地区の農業、経済を支えてきた野田生事業所が78年の歴史に平成18年5月で幕を閉じる。昭和3年に農産物の集荷所として倉庫が落成、翌年購買部が創設され名実共に野田生地区の発展の原動力となった。この時代の野田生の人口が現在の2倍の1,500人、明治36年に鉄道が開通して、野田生川流域の魚介類、農畜産物、木材等の発送基地となり大正、昭和の10年代頃まで野田生が一番繁栄、賑やかな時代であった。産業組合野田生支庫、八雲農業協同組合野田生支所、JA北渡野田生事業所、JA新函館野田生事業所と変遷をかさね、遂に採算性の問題から閉鎖となる。更に野田生郵便局の集配が無くなれば過疎に益々拍車がかかり、地域の崩壊へ繋がっていくのだろうか。


ガソリンスタンド


米 倉庫


資材倉庫


昭和3年初代支所長