’04年 10月
道内の交通事故死者数が10月21日、ついに昨年と同数となった。一時期20人以上の差をつけていたが7〜9月の大幅減少で今年も400人を切る目標が見えてきました。しかし、渡島管内は今日現在早くも昨年の1年間の同数となってしまった。さらに今年2回目の交通死亡事故警報の発令である。これは八雲町の事故が起因しているのが一目瞭然である。9月に道警交通事故分析隊が山越の現場検証し、我々の長年の要望であったはみ出し禁止規制がようやく実現した。八雲町を縦断する国道5号線延長32.3kのうち23.7K(73%)がはみ禁となり、八雲〜栄浜間16.4Kが一番長い。通過車両が引き起こす事故を考えれば当然かもしれないがこれで問題がすべて解決したわけではない。高速道路の早期開通、大型車両がゆっくり休める駐車場、それに伴う公衆トイレの設置等まだまだ難問山積である。 

’04年 8月
8月は私の63歳の誕生月です。平穏無事を願うのも束の間、野田生〜山越間僅か4キロで今年になって3件7人が死亡するという異常事態です。昨年の8月にも山越駅前で大型トラックとワンボックスカーが正面衝突し2人が死亡しており正に棺桶道路だ。すべて通過車両の事故でありその対策、負担等が地元町村に来るのは如何な物か。当局もはみ出し禁止や道路を改良するなり真剣に検討するべきだ。1ヶ月間に6人もの死亡交通事故は八雲町の歴史には無い。我々関係者は決して手抜きしているわけでもない、今後も焦らずじっくり実効性のある交通安全運動を推進して行かなければならない。HPを立ち上げて3年目、柳井道新八雲支局長の目にとまり新聞紙上に紹介させて戴きました。年間の行事をただ羅列して来ましたがこれからは交通安全の本質を追究して見たいと思います。皆様の辛苦なご批判、ご指導を戴ければ幸いと思います。

’04年 6月
隣町、長万部町では交通死亡事故ゼロ日数が3月に600日でストップしたが、八雲では昨年の9月から約9ヶ月間、町内では死亡事故が起きていないが、しかし、又しても町外で町民による死亡事故が起きた。白老町の高速道路で3人が乗ったワゴン車が中央分離帯に激突して運転者が死亡、同乗者が重軽傷を負ったのである。業務中の事故であり、安全運転管理者事業所として日頃どんな安全教育をしていたのか、厳しく反省してみなければならない。特に今回の当事者は事業所のトップであり責任は重大です。且つ一次産業をリードしていく事業所としての社会的責任もあります。八雲地区安管では連続の死亡事故である。忙しさに紛れて交通安全は二の次にしているのか、町内で頻発する交通事故を他人事の用に思っているのか、自分自身のこととして真剣に考えたい。仕事で度々事業所にお邪魔することがあるが受付や担当者の言動でそこの事業所の安全教育のレベルが想像がつきます。交通事故は一瞬の出来事であるが、それは普段の生活の延長線上にあり、交通安全意識が頭の片隅に少しでもあれば絶対防げた事故である。事業所が自ら交通事故防止策を立ち上げ、交通安全意識を従業員へ徹底させ、職場から地域へ交通安全の輪を広げれるか重い課題を突きつけられた。これが出来なければ又元の木阿弥である。

’04年 3月
何とやるせない事故が起きてしまった。緩い左カーブで左側の立木をなぎ倒し標識の支柱に激突、乗用車は横転、一人は車の下敷きになり即死、一人は重傷だ。車の破損状況からみるとシートベルトを着用していれば助かったと思われる。車は3ナンバーでスポーツタイプ、ついスピードを出しすぎてしまったのか。町民の模範たるべき町職員が死亡事故を起こし、それも酒気帯では弁明の余地も無い。先の対策会議に於いては、長万部町は3月16日現在死亡事故ゼロ日数、593日、今年の目標はさらに高いハードルを掲げ、八雲町は高齢者のの事故撲滅を誓い合ったばかりである。それを足下から崩壊されては再起不能、絶望的だ。どんな立派なスローガンを掲げても、美辞麗句を並べてもそれは絵に描いたモチにすぎない。我々関係者を逆なでするような事故がどうしてこうも次々起こるのか。もう忍耐の緒が切れた。

’04年 2月
衝撃的なニュースが飛び込んできた。平成14年暮れに山越で発生したひき逃げ事件の容疑者として落部の34歳の男性が逮捕されたのだ。泥棒を捕まえてみれば我が子なりと地をいくようなものだ。更に落部地区住民による交通事故が頻発すると住民の交通安全意識がいかに低いのか世間から厳しい目が注がれる。警察の執念の捜査の結果であり、道警の不祥事の続く中で本当に賞賛したい。しかし、これで一件落着といかない。我々関係機関が廣く熱っぽく展開してきた交通安全運動、交通安全教育が水の泡となってしまったのである。焦燥感さえ覚える。また一から出直しです。いずれ事故の全容が解明されると思うが誰一人事故を起こそうとして起こす者はいない。何らかの違反、過失があって事故が起きるのであり、その結果責任を取るのが社会のルールであり我々もまたそれを許している。交通安全教育の基本は「命の大切さ」をベースに実施しているつもりだが、それを否定されては言語道断だ。

’04年 1月
昨年の全国の交通事故死者数は前年の624人減の7,702人で46年ぶりに8,000人を切り、北海道では12年連続ワーストワンを記録したものの前年の102人減の391人で48年ぶりに400人を割った。昭和30年は免許保有者はまだ一握りの時代、現在の国民皆免許時代から比較すると画期的なデーターであるが、シートベルト着用等基本的ルールを守れば300人を切るのも夢ではない。関係機関の日常の弛まない努力が道民の交通安全意識の向上につながり、モータリゼーションの発展の試金石としたい。

’03年 11月
今年から発生地場所別の他に居住地別の死者数のデーターが発表されると、その地域の交通安全意識度が明瞭となる。すでに八雲町民が町外で死亡事故2件発生している。ここで敢えてお叱り覚悟で地域名をあげると、落部のお年寄りが国道横断中に跳ねられた死亡事故が9月にあったばかり、今回は若者の暴走で4人が死傷している。過去10年来この地区は同様の事例で毎年若い命が消え、呪われた町として祈祷したほどである。しかし、事故は偶然起きたものではない。はっきりした因果関係があり、交通ルール遵守を肝に銘じるべきである。

’03年 9月
9月26日交通事故死者数264人、埼玉県と同数でワーストワンとなりこれで12年連続ほぼ間違いない。早速高橋知事が道民へ緊急メッセージを発信、ポスターを各関係機関、事業所へ配布等あらゆる手を尽くしている。しかし昨年の死者数より約70人も減少している。全国的に死者数が減少傾向にあるなかで、我が八雲町は依然として歯止めが掛からず我々を逆なでするように死亡事故が相次いでいる。ここで注目すべきは通過車両が事故を起こしていると思われているが過去5年間のデータを見ると、死者数平均8人、その内町民の犠牲者は総数16人(町外24時間以上を含む)、人口1万7千人、免許人口9千600人、この基礎数字から推していかに八雲は事故が多いのか、町民の交通安全意識が低いのか痛感させられる。因みに隣の町、長万部町は今年の死者数は0、森町は1人です。

’03年 8月
夏休みに入り車の往来がぐっと多くなった。それに比例して道内各地で事故が頻発今までの貯金が減ってしまう。死者数もワースト3タイ、このままのペースで行くとワースト1は時間の問題だ、事故の原因も殆ど長距離運転による集中力が切れた居眠り、うっかり、ぼんやり、対向車線にはみ出しついに正面衝突、全国平均の倍の30%、結果的に致死率が高くなる北海道特有の事故の形態だ。ワースト1連続12年確実となってくる情勢の中で早速道警本部は事故防止のメッセイージの発信、更に取り締まりを強化するという。事故防止絶対的決定打が無い以上短期的に効果があるかも知れないが一喜一憂することなく長期的にじっくり取り組みたいものだ。昨年の北海道の死者493人は絶対数ではワースト1であるが同じ面積東北6県は804人、九州では941人、人口当たりの死者数の順位は14番目、道路延長は34番目、1億台走行キロ数は46番目、北海道はむしろ安全な地帯なのか。

’03年 6月                                                半年過ぎて道内の交通死者数は昨年より60人以上も少ない驚異的な数字だ。このペースで進むと年間400人以下は確実と思われる。年次交通安全基本計画のなかで昨年は目標値の500人を切り、今年はそれを100人も下回るとすれば嬉しい誤算だ。人の死を軽々しく論議するのは大変失礼なことかも知れないが現実を直視するとその大きな要因は昨年6月に改正された道路交通法だとマスコミは伝えている。しかし、経済的不況による産業活動の低下、道路、車両等の安全対策、救急医療の発達、関係機関のたゆまない交通安全思想の啓蒙等、総合的に絡み合った結果だと思う。反面、非常に気になることは各地で頻発する轢き逃げである。死亡轢き逃げが禁固刑15年とすれば殺人事件とおなじ量刑だ。薬が効きすぎて副作用が表れたのだろうか。

’03年 4月                                                 3月23日、92歳で父が亡くなった。継母が死んだ後も10年以上も瀬棚町養護老人ホーム三杉荘でお世話になり悠々自適の生活を送っていたのだが、昨年の暮れ体調を崩し、入院を余儀なくされ、急性肺炎を併発し、帰らぬ人となった。 父は明治の頑固と言われるほど我がままで自分本位で、年をとるごとに激しくなり、ホームの寮母さんを悩ませていたようである。これが本人にとっては長生きの秘訣だったのかもしれない。酒をこよなく愛し、飲み過ぎて体をこわすこともない鉄人ぶりでしたが周囲の方々には大変な迷惑をかけていました。  あえて功績をあげるなら、戦後の食料難時代、10人の家族にお腹一杯食べさせてあげたい一心から野田生川流域の開田に踏み切ったようである。その後相次ぐ増田、増産で食糧不足を乗り切り八雲町では米地帯として確立したのであるが、開田してから50年、現在は米あまりと生産所得減で米作りの魅力は失せてしまった。一つの時代は終わった。明治は遠くなりにけり。明治、大正、昭和、平成と92年間の生涯を支えて戴きました周囲の皆様へ感謝しつつ。

’03年 3月

70歳の男性交通指導員が脳梗塞で急逝しました。 交通安全指導委員会が発足して以来35年間町民の輪禍防止のため献身的に努力されてきた方でした。昨年12月、75歳の男性が脳溢血のため倒れ現在療養中です。過去3年間に3人の交通指導員が相次いで無くなりました。皆さんは交通安全運動、事故防止に一生を捧げてくれました。私も兄弟以上にお付き合いをさせて戴き、痛恨の極まりです。たかが交通安全と言いながらその崇高なボランティア精神は金字塔のごとく輝き続けるでしょう。
昭和44年、50名の指導員で発足、新規加入が少なく現在はその半数にも及ばない、発足当初からの指導員もおり、指導員が高齢化しているのが現実です。朝の立哨からイベント出動等年間60回以上の出動は体力的、精神的な負担は、計り知れない。もはや個人のボランティア精神に依存するだけでは問題の解決は困難な時期に来ているようである。

’03年 1月

あと。数日で ’02年が平穏無事に終わろうとしている時、町内で重大事件が相次いで発生、町民を震撼させた。一方は早期解決を見たが、死亡ひき逃げ事件は越年になってしまった。平成14年の交通事故死者数は前年より半減し、我々の努力もいくらかでも報われたかなと安堵していたが、この1件で帳消しだ。この種の事件で過去に記録が無い。負傷者を救護せず逃亡するなんて立派な犯罪だ。被害者の無念を晴らすためにも、今後の再発防止のためにも犯人を絶対検挙しなければならない。もし、加害者に少しの良心の欠片でもあるなら速やかに自主すべきだ。 正月を返上して連日連夜操作に当たるお巡りさんには本当にご苦労様です。一年の計は元旦にあり、先ずこの件の解決が先決だ。問題解決には住民、町民、道民皆さんの情報提供が必要です。ややもすると関わりたくないとゆう心理が働き鈍りがちだが是非積極的なご協力をお願いします。

’02年12月

安全性と信頼が絶対的なバスの事故が相次いでいる。軽乗用車と接触して線路上に真っ逆さま、大惨事である。バスの運転手はいかなる条件下であっても乗客の安全を第一に考え運転しなければならない。結果論であるが相手はたかが500キロ、バスは10トン以上ある、これが正面衝突しても勝負は明らかである。衝突を避けようと急ハンドルを切ったためバランスを失い制御不能に陥り欄干を突き破り落下した。正に一瞬の判断が生死を分けた。
 私自身も毎日ハンドルを握りいつ災難が襲って来るかわからない。職場の帰り、10月の下旬午後6時頃、道々で対向車と行き違った際、右側から中型の犬が飛び出し発見したのは10メートル手前、覚悟を決めて急ブレーキ、なんとその後から60歳代の女性が犬に引っ張られて飛び込んで来たのである。もう万事窮す、目をつぶった。しかし、わずか数センチのところで止まった。もし犬を交わそうとハンドルを切っていたら女性を跳ね飛ばしていただろう。
同じような状態の事故が森町で発生、女性ドライバーが男性を跳ね、業務上過失死の現行犯で逮捕されている。

’02年11月

冬の交通安全運動が終わりましたが、今年の冬の訪れが早いせいか全道各地でスリップの事故と見られる事故が相次いでおります。道南ではこれからが冬本番です。早く冬の運転感覚を取り戻したいものです。5月から半年八雲では死亡事故がありません。これはちょっとした記録です。私自身も11年間この仕事をして来ましたが初めての経験です。事故件数も昨年より大幅に減少し、死者数も3人の減です。この記録がもし達成されますと平成2年以来12年ぶりの記録になります。今年もあと1ヶ月あまり、何としても“ゼロ”を願わずにはいられません。

’02年7月

昨年の6月から今年の4月まで連続11ヶ月交通死亡事故12件、13人が犠牲になりました。 これは大都市に匹敵するデータです。いかに交通の要所と言いながら多すぎます。
通過車両のみならず、町民の事故も目立ち弁解の余地がありません。夏休みに入り、家族のドライブ、長距離運転の機会が増えます。交通安全は家庭から、一人一人の交通安全意識の問題です。良い思い出は先ず無事故から。夏の交通安全運動期間は各種交通安全運動を予定しております。是非町民皆さんの参加協力をお願い申し上げます。
  これから私の居住地域、野田生の行事等を取り上げていきます。

’02年4月                        

  ホームページを立ち上げてから4ヶ月、多くの人から激励やご指導を受けてきました。見る人の立場になって作成せよとよく言われますが、技術的問題がまだ理解出来ないため大変迷惑をかけていると思います。牛歩ですが一歩一歩進んで行きたいと思いますので今後とも叱咤激励お願い申し上げます。
交通事故分析では、なるべく客観的に書いているつもりですが、つい熱が入り自分の主観が入り、当事者にご迷惑をかけた点がありましたらご一報戴ければ幸いと思います。これからも交通安全運動を中心にまとめて行こうと思いますが一部の人は交通安全運動はマンネリだと指摘を受けますが、絶対的交通事故防止の秘訣が無い以上、一つ一つの運動に新鮮な気分で取り組むことが町民の交通安全意識の向上につながるものと信じております。  免許更新時講習につきましても皆さんから貴重な意見を受けます。それを反省材料にして運転者から受講してよかったと満足して戴けるよう努力しておりますのでどうぞ忌憚のないご意見をお待ちしております。 


  ’01年12月                           

 還暦を迎え、人生の節目として何かを残そうとホームページ作成に挑戦しましたが、思うように行きません。 やはり年なのか、今日覚えても次の日忘れている、その繰り返しで前進することが出来ません。漸く形が出来ましたので公開することにしました。 皆様のご指導を頂ければ幸いと思います。
私のパソコンのきっかけは仕事上必要性から始めたものです。 免許更新時講習指導員を依嘱され、受講する側から講習する側になり、責任を痛感しました。 限られた時間内でいかに斬新な情報を伝え、 納得のいく講習が出来るのか暗中無策が続きました。
早速NEC98を購入インターネットから最新情報を得ることができました。
パソコンで内容を作成し、OHPフィルムに一枚一枚プリントして手間のかかる作業でしたが自分なりに満足でした。 が、まだ便利なソフト「パワーポイント」が有効であると聞き、現在は100コマ位用意して、プロジェクターを使用して講習しております。 免許講習用以外に、高齢者用、生徒用も作成し、交通安全教室に手品と一所に活用しています。
私はパソコンも手品も趣味ではありません。 仕事上必要だからやっているのです。 一件でも交通事故が減ってくれるのを祈りながら。