第3回生き生きカレッジ学習会

 講 演

北海道生涯学習協会が主催する道民カレッジ連携講座を兼ねて、八雲生き生きカレッジで開催、この日の聴衆は悪天候も重なって百名ほど、一部は函館在中の落語家東家夢助氏,「人情に支えられて落語人生」と題して講演、美しい日本語でお互いの胸の内を本音で話すことが信頼関係ができる。日本語はうそをつくために作られた言葉でななく真実を語る為に作られた言葉である。日本語は立前をを語る言葉では無く本音を語る言葉である。うそ八百が巷にはん濫している時、日本人の心は病んでいます。立前ばかり話しているといつかストレスが爆発する。本音を聞いて貰いたい事が山のように有るから良い聞き役になる。落語は江戸時代、正直に物が言えない時代、社会を風刺して世間を笑わせて社会の潤滑油になり、それが古典落語として発展してきたものである。何時の世でも笑いは社会を明るくして人間性を豊かにするもので有る。


東家夢助氏


、二部は八雲町の歴史家幸村恒夫氏、幸村氏は私と同郷の野田生生まれ、会社勤務の傍ら、八雲町の歴史に興味を持ち、独学で勉強、今は各種団体、職場、学校からの要請に応じて講演に奔走している。八雲は尾張藩徳川慶勝が開拓に入って140年あまり、ある程度の八雲の歴史は祖父母から伝え聴いて知っているが、細部については定かではない。幸村氏はクイズ形式でお話をして興味深く大変解りやすく面白い。八雲という地名は最初から決めていたらしく、八雲という冠を付けたのは明治12年の八雲小学校です、徳川義親氏が明治11年スイスからお土産として持ち帰った熊ぼりを八雲の農家の副業として奨励した、多くのくまぼり名人が輩出したが、現在はそれを継承する人は途絶えてしまった、遊楽部川の鮭の人口ふ化は有名であるが北海道で最初に天然ふ化が行われたのは明治13年、八雲町と落部村が合併するまで、八雲町野田生と落部村野田追があり、どっちが先か後かよく議論されたが字名改正により野田追が東野となり決着、現在野田追が付く固有眼名は野田追川と野田追橋だけである。


幸村恒夫氏