学園長講話

学園長  清水教育長
教育行政全般に渡ってのお話を頂きました。学校数は一番多い時代は四十校近くありましたが現在は小学校が十二校、中学校が五校、相当数減少したがそれども渡島管内では函館市に次ぐ多さである。特に小学校では腹式校が多いため毎年一〜二校が閉校になっているが、地域住民から見れば廃校は避けたいところだが、父兄にしてみれば教育上やむなしと云うことで理解されている。
数億円かけて折角校舎新築したにも拘わらず僅か十数年で廃校、何と勿体ない話しである。過疎化の波が辺地に押し寄せ更に少子化が拍車をかけてしまったのだろう。それにしても時代の変化が急速過ぎるのか、十年先も見通せないとはお粗末しすぎる。ある学校では生徒二十人に職員が用務員を含めて九人もいる、さぞ立派な教育が出来ている事だろう。敗戦時、教材と言えば紙と鉛筆、消しゴムくらい、教科書は兄弟や先輩から譲り受けたもの、それでも先生は親切丁寧に教えてくれた。決して不足という概念はなかった。新年度から中学校では日本武道が必須科目になる。体力向上と礼儀を教える、今の子供はそんなにひ弱になってしまったのだうか。お金が無いと教育出来ない、進学出来ない、就職出来ない、それで将来が決まってしまう。苦学して勉強するという言葉はもう死語になってしまった。未だに給食費を払わない親がいるが、その子供が親の姿を見てどんな大人に成長して行くのか末恐ろしくなる。八雲は尾張藩士が開拓、質素倹約をモットーにして、悪く云えばケチの精神でこの町を発展させてきた。町財政緊迫の折、 一方では無駄は無いと云うがあらゆる観点から見直しが迫られている。