紋 別 竹 壮 会 の 歴 史(1)
1952年〜1982年

  (2)1983年〜1991年 資料検索中 
(3)1992年〜1995年
   (4)1996年〜2002年 資料検索中
 
(5)2003年〜現在に至る

   2003年7月15日に古賀誠山氏が纏められた資料を逸見穂山氏が提供
さらに紋別市で行われた「邦楽セミナー」資料<紅山保管>を参考に整理

2006年9月 新都山流東北海道支部長古賀誠山氏より資料提供

2006年記事以降、小林功男氏のメモ提供を谷藤紅山記述

2019年4月 伝統芸能「北海道」のあゆみ 尺八編(1990年代発行)
その14(中島聖山著)より紅山系譜作成
〜伝統芸能「北海道」のあゆみ 尺八篇〜その14 

                

 ◎上田流を支えた「美登里会」と「竹壮会」◎

1923年 大正12年4月5日 
上田流宗家 上田芳憧青山呂憧(新潟出身)を
北海道札幌に派遣後、渡道5年にして233名の入門
「北海道美登里会」を組織し、「北海道上田流の産みの親」と称される

青山の主な門下生として、佐伯才一(札幌農学校学生)
「十勝に上田流の槌入れ」した作田呂憧(十勝農業高校教師)
その弟子庄司篁憧(十勝農業高校教師)
上記二人で、昭和4年4月6日、帯広栄楽堂にて、
青山師を招聘して「帯広美登里会演奏会」を開催。
柴田公憧(船乗りで稚内、紋別で活躍、のちに高橋宇山に転門)がいた。

上田流宗家補佐役 上田竹童に師事した久慈寛道(野付牛:北見出身)が
「北海道竹壮会」を組織   昭和18年北海道庁課長を退職し北見へ戻る
その後、昭和24年に帯広、昭和27年に旭川で新派結成
昭和30年には東北まで広げようと函館に転居するがうまくいかず
「転ぶ石に苔は生えず」の例え通り
昭和34年 美幌へ移住し自衛官に書道や囲碁を教えて生計を立てる

久慈の主な門下生として、高橋宇山(北見)とその弟子内田明憧(北見)
田端偉山(深川)とその弟子木島偉童(深川:国鉄職員として昭和31年
渚滑に転勤し、翌年には上湧別山田流村上登代子・寿子親子と渚滑鉄道
倶楽部にて「尺八鑑賞の夕}を開催、登代子師と「秋の言の葉」、
寿子嬢と「秋の調」を共演、昭和34年函館転勤)
大平晴山大平緑道(ともに渚滑)
久慈と同じ同町勤務から渡島支庁長になった佐々木恵憧
並びに紋別小学校教頭であった小比賀雪憧がいた

  1952/昭和27年 4月  紋別竹壮会結成
 初代会長(故 小比賀雪憧・本名 繁太郎=上田流)
 当時、紋別市に浜中湯浅、上渚滑町に菅原、西村
 あたりが居られたようです。
 何れも上田流。  以降、毎年の市民芸術祭参加
  1955/昭和30年 1月  古賀誠、小比賀師に入門
   1957/昭和32年9月22日   木島偉童 渚滑鉄道倶楽部にて「尺八鑑賞の夕}を開催
  1964/昭和39年 4月  小比賀師、退職して札幌転出(離紋)のため、古賀玲憧
 (誠)が二代目会長に就任。
 (その後、昭和40年10月都山流に転流の為、竹号 松玲
       昭和45年 誠山)
1966/昭和41年12月  邦楽演奏会を共催(紋別市農協ホール)
1968/昭和43年 1月  西紋別地区広域組織に向け活動開始
           10月  尺八演奏会 第1回 紋別竹壮会公演
           11月  紋別市文化連盟 文化奨励賞受賞
1969/昭和44年 8月  新日本音楽名家特演を主催、共演(紋別小学校)
1970/昭和45年11月  都山流尺八遠軽支部を組織
 以降、全道、網走支庁管内尺八演奏会に出演
1971/昭和46年 3月  尺八演奏会 第2回公演(渚滑公民館)
           11月  邦楽演奏会を共催(紋別市農協ホール)
1972/昭和47年10月  網走支庁管内尺八大演奏会を司会(紋別市民会館)
1974/昭和49年 6月  尺八演奏会 第3回公演(遠軽町福祉センター)
           10月   同 上    第4回公演(上渚滑公民館)
1975/昭和50年10月   同 上    第5回公演(紋別市民会館)
1977/昭和52年 5月   同 上    第6回公演(丸瀬布町公民館)
            8月  網走管内尺八鑑賞会(遠軽町福祉センター)
           10月  尺八演奏会 第7回演奏会(興部町中央公民館) 
1978/昭和53年 8月  三代目会長に 永井 昶山(弘 )が就任
 1982/昭和57年、古賀誠山離紋
            9月  三曲演奏会を共催(紋別市民会館)
1982/昭和57年 4月  四代目会長に 菅原宵山が就任