エンジョイ・ライド<全日本選手権120KM>

120KM 未知の距離への挑戦 準備からレース中、そして光栄にもベストコンディション賞選考会に向けて、さらにもう一日。
人馬ともにチームグラスホッパーとして、己との戦いだった。初めてのことばかりで、レグごとの斤量の測定すらとまどった。
ああ、これが本当のエンデュランスなんだ。
次々に獣医検査に向かっていく上位馬たちを目の当たりにして、クルーワークの真髄も追及させられた。
ドイツ・アーヘンでの世界選手権で見た、3〜5分で獣医検査をパスしていくレベルまで、そう遠くない日に、日本のトップチームもなるのではないだろうか。

会場に入ってテントを設営し、一番最初に簡易ベッドに並べた四つのかたまり。
今回はすべてのレグにそれぞれ異なる服装を準備した。レグごとに靴も替え、下着の果てまで着替えをしてこすれて痛くならないようにした。自分の体力を温存するとともに、常に過重ポイントを変化させ、少しでも馬の負担を少なくするために。
ついでに毎度洗顔も行い、さっぱりと出陣するよう心がけた。
また食事の面でも、レグ間で何をとるか事前に打ち合わせ、すべてその通り運んだ。

蹄鉄のうち替えも3〜4レグ間ですることを打ち合わせていたが、思ったより摩耗が少なく、これは馬が以前より軽く走れるようになっていたようで、うれしい誤算、だった。が、実際は3レグで右前、落鉄、タイムロス。
ゴーグルをしていたため、悪路に気付かず、ぬかるみに2度ほど足を取られていた。馬の故障がなかったのは、馬自身の力のおかげである。一度は目前にずるずるのホールを発見!間に合わないと思った瞬間、ジャンプしてくれた。
ドイツで買ってきたワンタッチの靴も、装蹄士を待つ間に少しでも歩を進めることができて効果的だった。

帯ずれは、60KMまでの距離ならおきなくても、同じしめ方ではもうこの長距離、長時間では、世界標準の胸がい・尾がいで腹帯にたよらない方法に切り替えていくしかないだろう。
今回、初めてハートレイトで当ててしまった。こすれて馬はひりひり状態である。

3時スタートの暗闇での走行、事前準備でライトの位置を確認。オーストラリアで見たあぶみに装着するデュアルヘッドライトに。周りの木々も見えるが揺れが激しい。その点周囲全体を照らす方式で鞍につける三浦アランに山道を引っ張ってもらい、1レグは着実に上位争いのできる位置取り。大会2週間前の下見でもWWRCにお世話になり、コースに不安はなかったけれど、道を知り尽くした人馬と帯同できたのは非常に助かった。

70KMまでは、今までにない素晴らしい走り。しかしそこからが、本当の意味での耐久競技だった。人馬の意志が途切れると、とたんに歩きだしてしまうだろう。前進気勢がない。棄権も頭をよぎる。馬の限界の点がどこか、3レグ4レグはライダーの判断と筋力にゆだねられると思った。あぶみの長さを最短にセット。リズムを作ることにした。それもいつか筋力の限界が来る。たんたんと、相手のいない単独のロードが続く。

終わってみれば、史上初サラブレッドの120KM完走。体が大きすぎて競走馬になれなかったあの頃。1歳夏のセリで一緒に大金はたいて購買したセブンの門別君は白血病であっというまに死んでしまったし、駈歩すらまともにふめないまま育成場では首を横に振られ、行く先はグラスホッパーしかなかった。

乗馬に転用するとき、夢はでっかく、と凱旋門賞を意味する「アーク・ド・トライアンフ」(トリアムファー)から名付けた。父のホワイトマズルが凱旋門賞に出走したレースをフランスで観戦した。総じてホワイトマズルの産駒は不細工が多いが、勝負根性はものすごいものがある。

そんな良い面が、ハートレイトモニターをチェックしていると、速歩よりも駈歩のほうが心拍数が低く、後半ははほとんど駈歩で走れるため、2005年の日高や昨年の全日本80KM準優勝時も、参加馬の中で3レグ目最速タイムを記録し、その割にケロッとしていて、何だか距離がのびればのびるほど、元気になってくるようにさえ印象づけられていた。

最近では馬同士より人とのコミュニケーションのほうが上手にとるような、頭の良いところもある。馬仲間ではどちらかというと嫌われていて、ロンリー。だがライダーの考えていることは瞬時に察するし、手入れの時はいつもトライアンフから苦情など発信されてくる。語る奴なのだ。

結果は4位。発表では翌日のベストコンディション・ド・ホース賞選考会に残ることになった。初挑戦でこれも、光栄な話だ。しかしここからが、我々にとってなにをどーする、困った未体験の時間になったのだ。とりあえず、交流会でお酒は無し。隣の席のWWRCの動きや、顔を真っ赤にいつもどおり飲んでる谷君の動きを観察。飲めない代わりにどんどん飲ました装蹄士蛭川君と日高KFの後藤君が、じゃ、行ってみるか〜と、厳戒体制の厩舎にいきおいなだれ込むことに。

しかしこれが序章だった。じゃ今度は12時ね、とナチュラルホースマン蛭川君。いつも馬をほったらかしにしてさっさと温泉に移動するチームグラスホッパーは、エンデュランスはごくたまの休日であり、付き合ってくれている人々への接待に忙しかった。北大雪で馬を馬運車に積んで高速道路の下にほうっておいて、滝の上の芝桜見物に行ったこともある。結局12時はすっかり蛭川君にお願いし、我々は3時に出てくることにした。

急激に冷え込む中、いくら昼夜放牧に慣れているトライアンフも今日は厩舎のほうがよかったねと、マッサージとストレッチを繰り返す。事前に申し込んだとき、厩舎が足りないので屋根付きパドックにしてほしいと言われ、快諾していた。120KMの劇走の跡が、筋肉や靭帯に残る。この日横になれなかったのは、もしかしたら甘いその判断のためだったかもしれないし、逆にいつもかけない馬着のせいだったかもしれないが、何しろ、120KMもの距離を走ってきた後というのは、尋常ではなかった。細かいケアがものをいう。

特にこの夜のために、きめ細かい計画の下、繊細なミールを用意しておくべきだった。腸にやさしいものや体を温めるもの、疲れをとるもの、それも嗜好性を考えて事前に食べ慣れさせておくべきだろう。

ストレッチはとても効果的で、私などが手をつけると嫌がるのに、ホース・ウィスパラー蛭川君のテクニックは、見るからに違った。何しろ気持ちが良いらしい。どんどん歩様が良くなった。筋肉の緊張が解放されていく。他チームもそれぞれの工夫のもと、夜中に起きだしてくる。さながら夜の決戦のようだ。たくさんやればいいってもんじゃないだろうが、結局蛭川君に引っ張られたうちが一番たくさんやった。

朝、ちんちんがにゅーと出てきて元気さをアピールしているのかと思いきや・・・違った。すぐ疝痛と気がついて浣腸するべく洗い場へ。だけどこれも医療行為か!?悩みに悩んで、獣医師としては断腸の時間へ。医療行為はすべて禁じられている中、苦しむ馬。それもときどき波がやってきて、少しぼろをたれるとけろっとする。昼夜放牧の馬にとって、朝日の昇るときは安楽の時間。全員で輪になって横になる。砂場を探す。トライアンフも横になると痛みも和らぐのか、安心したような顔をしている。

来るべくしてまもなく、ベストコンディション・ド・ホース賞の審査が始まろうとしていた矢先、どうしようもなくやはり、お腹の痛い姿勢をみせるトライアンフ。彼にとってこの舞台は、また次のレグが始まる→また走行しなければならないところ。神経が尖る。獣医師団長の青木 修先生にそのむね伝えると、頭のいい馬ですねと、おっしゃった。久保田先生にも辞退を告げる。私の口から早く治療してやりたいです。と、とっさにこぼれた。治療のお許しを得て、まっすぐ洗い場へ。10Lの点滴・重曹・ブドウ糖・強肝剤・ESE・副交感神経促進剤加カルシウム注射。バナミンもはじめ効きが悪かった。我慢させている2〜3時間でだんだん悪化していたのだ。閉会式も出ず早々にとってかえし、グラスホッパー放牧場へ放つ。青草と、家に帰った安ど感ですっかり喜び、リラックスするトライアンフ。やっぱりここが一番。

帰った次の日も忙しかった。連休でかなりのお客様にお断りしてしまった3日間。最後の一日は朝早くから夕方日が暮れるまで、列をつくってお客様の来場があった。ダブルブッキングのハプニングまであってそれも無難にこなしてくれたのは、またまたうちの馬たち。無理を押して頑張る。そしてトライアンフも、全くいつも通りのトレッキング部隊に参加。田中 哲美さんからトレッキングの道中電話が入ったが、朝4時からの私たちの仕事ぶりに二度びっくり。獣医師の仕事ももう行ってきましたよ。

夜8時、路肩にハザードを出しているめえめえの赤い車を発見。中で明日のお客様の予定表を表す携帯電話を握りしめて、テレビつけっぱなしで、はすかいに頭を垂れて眠ってる。新冠温泉まで到達しなかったのだなあ。そっとしとこう。

さあ、あけて今日も7時半。馬場にお見えになったお客様と馬たち、めえめえがいます。

毎日がエンデュランスの人生です。あの距離を頑張れるのは、騎士道を人生を磨ききった人々。やっとエンデュランスで走る理由が見えてきたところです。

                                                 2007.9.25   Aki Arai