農民芸術とは何か?
 日々あくせく暮らす人にとってみれば、芸術なぞ金持ちの道楽と、とらえられてしまうかもしれない。でも本来、芸術は金持ちが独占すべきものではないし、どんな人にとっても重要な意味を持つものだ。芸術の中でもとりわけ音楽は、ストレスのたまる生活の中では息抜きであったり、癒しとしての働きを持っている。それがしかし、真の芸術と言えるものかどうかは疑問だ。芸術とは、もっと人々の精神を高めるものでなければならないだろう。
 芸術とは一体何なのか? 娯楽とはどう違うのか? 芸術というと、何か高尚なものというイメージが、民衆から芸術を遠ざけてしまっている。しかし、芸術とは、人々の心に五感で直接訴えかける、人間による創造的活動であって、もちろん金持ちだけに必要なものではないし、人間の本質に関わる大切なものである。芸術がなくとも人は生きていけるかもしれないが、生きる意味を見出すことはできなくなってしまうだろう。人間に生きる意味を与えるものが、芸術ではないかと私は思う。そういう意味では、芸術は宗教と同様に、人々を救いに導くものでもあるだろう。
 人間は、神の造られた自然の一部でもある。ここで今、無神論者と議論を交わしている時間はないが、神という言葉を、宇宙を支配している法則あるいは精神と言い換えても構わない。したがって、本来の芸術は、神への祈りと共にあり、自然の中での労働の中からこそ、生まれるものである。そうであれば、自然の中で働く農民こそ、最も芸術に近い位置にあるはずである。農業というものは、神から与えられた自然の恵みを受け、人間の生命を支えるため、自然から多くの命をいただく行為である。つきつめれば、農業そのものが宗教的行為でもあり、また芸術的行為であるとも言える。
 さらに、農作業に限らず、生活に必要なすべての自給的労働、糸を紡ぎ機を織り衣服を作ることも、土木工事や建築も、様々な農産加工や工芸なども、すべて本来は芸術的行為であったのだ。しかし、それら生活に必要な様々なものが工業的に大量生産されることによって、その多くは非芸術的なものとなってしまったのである。もちろん工業製品にも芸術的なデザインというものはあるけれど、人の手により一つ一つ大切に作られた作品とは、その価値に大きな差がある。ゴッホの絵を何十億円で買う人はいても、そのコピーを高いお金で買う人はいない。
  芸術とは、つまり手仕事である。心に響く手仕事は、すべて芸術である。これからは、大量生産の工業社会を脱し、芸術の時代に戻らなければ、人類に未来はないだろう。なぜならば大量生産は、地球上に商品を溢れさせたが、人々から多くの職を奪い、そのことにより人々を身分によらず搾取する構造を確立した。また、人々から物を大切に扱う心を奪い、かけがえのない地球の豊かな自然環境を破壊し続けている。このままでは、人類の未来だけでなく地球の未来もなくなってしまう。これから人類が、自由で平和な社会を目指すためには、すべての産業が芸術的な方向に向かわなければならないのである。
 芸術は、封建時代においては特権階級に仕えたが、現在はコマーシャリズムに仕えている。音楽も、流行歌手のCDは発売から数ヶ月で何百万枚と売り上げる体制が出来上がっているし、街を歩いていても音楽があふれかえって騒音と化している。しかし、本当に心に響く音楽と出会うことは、逆に難しい時代にもなっている。ベルリン・フィルのCDよりも、アマチュア楽団の稚拙とも思える演奏の方が、時にはずっと大きな感動を人に与えることがある。
 真の芸術は、商業主義とは相容れないものだ。真の芸術は、日々の労働によって支えられ、神や自然の霊性に触れる祈りの中にこそ、存在する。大量生産される「娯楽」ではなく、かといって労働と無関係なところにある自称「芸術」でもなく、祈りの具現としての労働から生まれる、虚飾のない「真の芸術」をこそ、求めなければならない。
 金持ちやコマーシャリズムの力を借りずに、芸術活動をするためにも、自給的労働というのは、どうしても必要なことである。そうでなければ、芸術は金持ちに仕えるか、大衆に媚びるかのどちらかしか、生き残ることができなくなってしまう。そのためにこそ、私は『農民芸術学校』を設立し、そこでは、芸術を学ぶだけでなく、自給的生活を行う技術を身に付けられるようにしたい。また、それは経済的な必要からの自給というだけではなく、それこそが真の芸術の源泉であることを自覚するためであり、神の造られた自然という最高の芸術にならって、人間の手仕事による美を追求するためである。経済合理性一辺倒の社会に抗して、何よりも命を大切にし、すべての生命が輝ける社会を目指す活動としても、この学校は大きな意義を持つだろうと信じる。
 また、この学校では、安藤昌益、ルソー、ラスキン、モリス、ソロー、トルストイ、宮澤賢治、ガンジーといった、人間による人間の支配と闘うために、自給を目指した先駆者たちの思想についても学び、グローバリゼーションという名による世界の一極支配が進行している今こそ、「何物にも支配されず、何物をも支配しない、独立した人間を創る」という高い理想を掲げて歩んで行きたいと思う。

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