農民芸術学校までの道程

   今年こそ、農民芸術学校の本格的な準備を開始しようということで、この4月に1町歩の農地を新たに手に入れた(といっても、正式に自分の名義になるのは5年後)。また同時に、竹内君という若きスタッフ候補生を、道の農業担い手センターの助成を利用しての農業研修生として受け入れたのだが、彼が体調を崩し、当園での研修を継続できなくなってしまったことから、この夏に予定していた鶏舎の建設、学校開設のための資金集めのスタートは、延期せざるを得ない状況となってしまった。だが、遠からず新たな協力者を見つけて、前進するしかない。農民芸術学校というタイトルの入ったホームページを立ち上げて以来、何人もの人が協力したいと言っては、うちにやって来たが、実際に生活を始めようという段階になると、決断できずに退いていくということが、繰り返されている。学校が軌道に乗ってしまえば、おそらくスタッフも集って来るのだろうけれど、まだ何もない段階だから、しり込みするのは仕方がない。しかし、それでも夢を共有しようという人が現われてくれることを、神に祈るしかない。
 と言うわけで今年は、ただでさえ手の回らなかった農地を拡大してしまったのに、労力は自分一人だけ、しかも農作業の他にもやらなければならないことが沢山あるので、せっかく大きく育っている多くの果樹で収穫をあきらめざるを得ないばかりか、ワインブドウ園では草刈りさえままならず(大雪で切れた針金や倒れた支柱がそのままで、草刈り機が使えない)、隣接した農家にまで迷惑がかかる(草が伸びていると、ダニが増える)という状況になってしまっている。農薬や除草剤を使えば、人手がない分カバーもできるのだが、それは私の信念が許さない。
 忙しい割にはお金にならない農業をやっているが、自ら招いたことだから、愚痴をこぼしても始まらない。今後、どのように農民芸術学校を展開して行くか、大いに悩んでいるのだが、少なくとも5年以内には新しく買った農地の代金を用意しなければならない。今までの3町歩の農地に関しては限度一杯の借金をして手に入れ、まだ十数年かけて返済しなければならないが、今度は借金をしないようにしたい。
 公的には、私個人の農地ということで手に入れた土地であるが、農民芸術学校というパブリックな目的がそこにはあるので、将来的には学校のものということになるようにしたい。新しい学校を作るということは、非常に難しいチャレンジで、このような順序を踏むしかなかったのである。
 農民芸術学校は、学校と言っても、そこでは生徒とスタッフが学ぶだけでなく、生活を共にし、また色々な生産活動もするコミュニティー(あるいはコミューン)でもある。私は元々、学校というよりは、自給的コミューンに強いあこがれがあった。そのようなものを作るための一歩としての、学校でもある。
 デンマークのグルントヴィが始めたフォルケ・ホイスコーレ(民衆大学)は、高等学校卒業の農民子弟を対象にした学校として誕生し、今では北欧だけでなく世界に広がり、生のための学校という別名を持つ。これは、今私の考えている農民芸術学校に最も近いものである。既存の学校に適応できないような学生を受け入れるフリースクール的なものは、各地にできて来ているが、私はそういうものではなく、既存の学校でも十分やって行けるが、既存の学校では飽き足らないという学生が集るような学校にしたいと願っている。
 さて、現在私にところには、地元だけでなく、道内各地のあらゆる方面から、コンサートの依頼が来るようになって来ており、可能な限りお受けしているのだが、すべてを引き受けるのは無理であり、これも農園の管理を任せられるようなスタッフ、あるいは音楽関係のマネージメントを任せられるようなスタッフが出て来ない限り、十分なことをするのは難しい。いつも本当に綱渡りで、メンバーを揃え、プログラムを決め、練習を重ねて、本番を迎えている。
 来年1月に富良野で予定している農民オーケストラの準備も、収穫が本格的に始まる前の8月中に、パート譜の手配とコピー、団員(全道各地に70名以上)への発送、会場、宿泊場所の下見などをやっておきたいのだが、地元での演奏会の準備がいくつも重なってしまったため、自作曲のオーケストレーションも一向に進まず、これだけは断念しなければならないかなという状況になって来た。(これは、一部の団員からは歓迎されるに違いない!)
 しかし、すべての楽器パートのメンバーを揃え、練習場所を確保し、最大限効率のよい練習を重ねるという努力は、お客さんに感動して帰ってもらえる演奏をするために、どうしてもしなければならないことである。これは、本当に大変なことなのだけれど、沢山の仲間が協力してくれるので、何とかやり遂げることができる。毎度、コンサートの後に感動したと言ってくれる人が一人でもいる限り、どんなに苦労をしても、悔いが残ることは決してないのである。
 人間というものは、人に喜びを与えることに、最大の喜びを感じるようにできているのだ。そして音楽は、自分が楽しく演奏できた時に、最も人に喜びを与えることが出来る。瞬間で消えてしまう、はかない芸術ではあるけれど、人間の心には、何かを残すことが出来る。喜びを、同じ時空の元で共有できるということは、本当にすばらしい。世界中で、同じ時空の中にありながら、人々が憎しみ合い、殺し合うような状況を、何とか変えたいと思うし、そのための農民芸術学校でありたいと思っている。  


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