「えこふぁーむ」から 「農民芸術学校」へ
 
 「えこふぁーむ」は、4月から17年目のシーズンに入る。北海道で有機農業をやろうと決心したのが1983年、21歳の時だった。そして、楽しく充実した学生生活をもう少し続けたいばかりに大学院修士課程に進んだが、学校を出てすぐに農業を始めるには経験も資金も不足している。そこで、30歳になるまでには就農すると心に決め、本州のワイン会社に入ってブドウ栽培を学ぶことにした。それから、学生オケで知り合った妻との結婚や、途中で転勤もあったが、アマチュア・オーケストラでヴァイオリンを弾き、教会でオルガンを弾き、音楽とキリスト教とつながる生活を続けながら、来るべき就農に備えた。
 農業・音楽・キリスト教の3つは、私の人生にとっての3つの柱である。順序は異なるが、「神を愛し、人を愛し、土を愛す」というグルントヴィの三愛精神(とはいえ、この三つ目はもともと国土とか郷土であったのだが、これを土と言い換えたのは、雪印=元は製酪協同組合と酪農学園の創立者である黒澤酉蔵)を具体化したものであって、どれかを採ってどれかを捨てる、ということのできるようなものではない。
  1992年4月、30歳になって1ヶ月余りの時、勤めていたワイン会社と契約栽培をしていた農家がやめることになって、その農地を引き継ぐ形で念願の新規就農を果たし、「えこふぁーむ」と名付けた。その度の新たな宣言は、農民オーケストラを創ることであった。その時点の構想では、楽器を教えるところから始めて10年がかりというつもりでいたが、日本有機農業研究会のオケ経験者仲間で、すぐにもやろうということになり、2年後には道内各地の仲間を結集して「北海道農民管弦楽団」がスタートし、すでに15年目の活動に入る。
 一方、教会の方は、クリスマスとイースターくらいしか顔を出さないぐうたら信者になったが、超教派の「北海道農民キリスト者の会」に13年前の結成時から加わり、北海道における農民と教会との歴史的なつながりも学ばせていただいている。そして、日本の農村をキリスト教化する必要は全くないが、キリスト教は農村化しなければならないとの思いを、ますます強く抱くようになった。
  農民オーケストラが軌道に乗り始めると、さらに新たなヴィジョンが与えられた。それが「農民芸術学校」である。農業と芸術を共に学ぶための学校であるが、それは天地人類を創造し愛して下さっている神への信仰というものに基づいていなくてはならない。このようなことを言い出して、かれこれ10年近くなる。これも発端は学生時代の、宮沢賢治の「農民芸術概論綱要」との出会いにあるのかもしれない。ずっと以前から、自給的共同体=コミューンにあこがれがあったが、宮沢賢治の「羅須地人協会」(参加した農家からは農民芸術学校と呼ばれていたらしい)については、挫折したというマイナスイメージの方が強く、教育的なことには余り関心があったわけではない。しかし、デンマークのグルントヴィが始めた「フォルケ・ホイスコーレ」の存在を知ったことから、学校というものの必要性を強く考えるようになった。無知ということほど、恐ろしいものはない。すべての人が平和で健康に楽しく暮らすためには、学ばなくてはならないことが、実にたくさんある。
 現代という時代は、まさに地球の歴史における最期の日であり、破滅か救いかいずれかへの大いなる転換点なのであるが、この危機的状況は今から1万年ほど前の農業革命という、神の創造した永続的システムへの反逆に始まっている。数十億年の地球の歴史から見れば、1万年など一瞬の出来事であり、数百万年の人類の歴史から見ても、最期の一日に過ぎないのである。その1万年のうちでも最後の数十年(聖書で言うところの終末!)に生きている我々は、まさにこの地球の歴史を左右する非常に重要な責務を負っているのであり、目先の利益にとらわれている余裕などはないということに、すべての人が気づかなくてはならない。
 我々は、数十年前の有機農業に戻るというような悠長なことではなく、1万年前に神へ反逆し罪を犯したアダム以前の人類へと戻らねばならないのだ。それは、現代の技術や文明をすべて捨てるということではなく、自然を創造し支配している神への信仰に基づいた生き方に戻るということである。それは縄文人やアイヌのように、自然と調和した生き方に戻るということであり、決して難しいことではないはずである。イエスは、神の国は(天国=死後の世界にあるのではなく)あなたの手の届くところにあると語った。それをトルストイは、農業による自給生活に基づく権力のない社会と文字通りとらえ、その徹底した非暴力の姿勢はガンジーやキング牧師を始め多くの差別と闘う人々に力を与えた。今や、そのような階級や人種差別による搾取だけでなく、世代を超えた未来からの搾取や、人類以外の生命からの搾取ということも、問題にしなければならない。神の国、つまり神の創造した調和のとれた世界をとり戻すことこそ、我々に課せられた重大なる使命である。人間は罪を犯すこともできるが、その罪を悔いて償うこともできるのである。そのような自由が与えられていることを、感謝せずにはいられない。
  しかし困ったことに、学校を創るために何をしたらよいのか分からなかった。オーケストラを創った時のような仲間も見つからなかった。たまたま、インターネットが普及し始めていた。そして、「農民芸術学校」というタイトルでホームページを作ることを思いついた。思った通り、ホームページを見て、協力したいという人も現れるようになった。しかし、お金のある人はいない。お金のある人は、こういうことに余り興味がないのだろう。結局、ほとんどの人が、夢を共有することができないまま、去って行った。
  それでも、夢をあきらめることはできなかった。それで、学校を建てるための土地を手に入れた。実は土地の代金は未だ用意できていない。今まで所有していた農地も手が足りずに持て余し、その借金がまだほとんど返済できていない段階で、無謀と言えるかもしれない。しかし、何とかなるだろうという思いと、この土地は今しか自分の自由になるチャンスがないかもしれないという思いで決断したのである。
  さて、これからどうしたらよいのか。多くの人の力を借りなくてはならないことは、はっきりしている。私のヴィジョンが、多くの人に共有してもらえるものでなくてはならないし、もちろんそうでなくては、実現する価値もないわけだ。独りよがりではなく、多くの人に共感してもらえるすばらしい学校にしたいと思う。皆さんのご意見を賜りたい。 

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