自給農と差別のない世界

自分の非を知っている者は、
直に耕し飾らずに語り、
天地と一体となって語り行動する。
だから上下の身分や
恣意的な制度は無用なのである。

  安藤昌益「統道真伝」糾聖失の巻、第十八章より
   (農文協刊、安藤昌益全集、現代語訳による)

 農業後継者のいないことが全国的に大きな問題となっているが、特にこの北海道は、本州のように兼業化して農地を守るということがまれで、農業従事者が減った分、一戸あたりの経営規模が拡大するという、国の基本法農政が唯一実現してきた土地柄である。しかし、生き残りを賭け規模拡大した農家が豊かになったかといえば、そんなことはない。大きな負債を抱えて四苦八苦している。ひとたび農産物価格が下落すると、規模の大きい農家ほど打撃も大きく、昨年などコメ農家は散々だった。

 一方、農家から放出された安い労働力は、工業の発展に大きく寄与してきたわけだが、不況の今となっては余剰な労働者人口が、行き場のない失業者を膨れ上がらせている。去るも地獄、残るも地獄という、このような状況を変えるにはどうしたらよいのか。農業人口を減らすことによって豊かになれるのだという経済原理の幻想を捨て、時代に翻弄されない自給農を基本とした生き方をすべての人がとった時に初めて、搾取のない平等で自由な社会が生まれるのだと思う。

 安藤昌益は、江戸時代中期という封建社会のまっただ中にあって、農こそ人間の生きるべき道とし、士・工・商という生き方を搾取により成り立つ誤った道として否定した世界にも類のない革命的思想家である。彼は、厳然とした固定的身分制度の時代にあって、あらゆる差別に反対している。女性の権利を主張するフェミニストであり、アイヌの先住権を擁護し、経済的理由からの朝鮮や沖縄への侵略行為を誤りとして、非武装を主張する絶対平和主義者でもあった。権力による賞罰を批判し、自治コミューンを提唱したアナーキストであり、乱開発に反対して森林保護を訴えるエコロジストであり、穀菜食を推奨するベジタリアンでもあった。まさに、現代にこそ必要な思想家である。彼の指摘した様々な問題が現代においてなお解決されず、それどころかいっそう混迷を深めていることに愕然とすると共に、彼の先見の明には驚嘆させられる。

 自らの非を知るということは、キリスト教でいうところの原罪を知るということと等しく思えるが、そのことが土を耕す行為を伴い、天地と一体化するという言い回しには、聖書的に考えても、妙に納得させられるものがある。

 

(「愛農」1998年12月号 巻頭言)  

>>>> えこふぁーむ・にゅーす見出し一覧