大正末期、都市の成長と共に札幌市でも市営卸売市場設置の気運が高まる。その後調査委員会が設置に向け調査研究を進めるものの、太平洋戦争に突入し、計画は中断を余儀なくされた。
終戦後、経済機構の立て直しと振興、市民生活の安定向上へ再び計画が再燃。将来の人口増を見据え、中央卸売市場の設置が望ましいとした。昭和24年5月に桑園駅構内に放置されていた鉄道引込線用地を利用し荷捌場を新設して、ここに生鮮食料品を集中させた。
その後、業界からの要望もあって、この場所を将来は中央卸売市場へと発展させることを念頭に魚菜卸売市場の施設を設置した。
札幌市の急激な人口膨張などにより、桑園駅で貨物列車の発着が行われるようになり、鉄道用地の返還を求められたために、同28年に魚菜卸売市場は閉鎖した。しかし、その頃には市の人口が40万人に達し、急激な膨張を遂げていた。生鮮食料品の円滑な流通が急務となり、翌29年に中央卸売市場設置の構想をまとめた。その後、紆余曲折を経て33年4月に市場施設が完成した。
市場開設後は、高度経済成長などで人口が著しく増加。それに伴い、市場取扱量も飛躍的に増大し、開場3年目の36年には水産、青果ともに5万トンに達した。その後も昭和から平成にかけて市の発展と共に市場の取扱量も増加していき、それに合わせるように逐次施設規模の拡大を図ってきた。昭和46年には市場環境の変化に的確に対応し、流通拠点としての機能を向上させるため、東部市場計画という第2市場建設事業を計画した。しかし、周辺地域の経済活動等を考慮すると現市場再開発方式が最も適当とされ、平成2年に計画は中止となった。
10年から近代化と高度化を目指し、全面再整備を開始。立体駐車場の建設を皮切りに、新水産棟、新青果棟、管理センターなどを相次いで建設。19年2月にすべての主要施設の整備を終えた。
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