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ECサイトのお勧め商品カタログ|映画好きのBS/CSガイド

かなりあ

From 2005-06-24(金)
To 2005-07-13(水)

ユーラシアの熱波

戦後60年目の暑い夏は北海道から始まったようで、少々ばて気味。(笑)

ニュースによりますとこの暑さはユーラシア大陸全体のようで、北京は40度、インドは50度、パリは一日中30度以上とか。

京都議定書を経済への悪影響から脱退し、独自路線を歩むアメリカの報告はなかったけれども、そのアメリカの国民の温暖化意識調査が数日前の新聞に載っており、これがまたお寒い限り。

米マサチューセッツ工科大(MIT)の研究チームが全米1200人に調査したところ、「米国が直面する最も重要な環境課題」として、「水質汚染」「生態系破壊」「有害廃棄物」がトップ3。「地球温暖化」は六番目とかで、太陽光発電や風力発電、燃料電池、バイオ燃料などの温暖化対策技術に関する知識「どれも知らない」が17%とか。更には11%が温暖化の脅威を感じられないとして、「特に何もしなくてよい」と回答。

大規模な対策に伴う費用負担に慎重である側面もあり、研究班は「コスト情報と政策決定の透明化が必要」とし、「米国の政策を変える上で国民意識に期待しては駄目。政府が率先して対策を進めるべき」と提言しているらしい。

自然の摂理知らぬ極楽とんぼの政府税調答申が出された我が国も米国動かなきゃ何もしないような感じがするけど、ここはユーラシアの一地域。暑い夏の到来で、クールビズ族は暑さしのげるのかなといったところ。

歌を忘れたカナリアは
後ろの山に棄てましょか
いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリアは
背戸の小薮に埋けましょか
いえいえ それはなりませぬ

歌を忘れたカナリアは
柳の鞭でぶちましょか
いえいえ それはかわいそう

歌を忘れたカナリアは
象牙の舟に銀の櫂
月夜の海に浮かべれば
忘れた歌を思い出す

西条八十作詞 童謡 かなりあ より

現代の「歌を忘れたカナリア」さん達、月夜の海に浮かべたって、歌を思い出すとも思えませんが。

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ユートピア幻想

先日、活用しているクエッションサイトで、「これからのコンピューターはどのように変わるか」なる問いかけがあり、その回答として、「以前のような各国仕様の復権」が上げられており、国際基準軽視の昨今の動向を見ていると、そうなってもおかしくないよなぁと思った次第。

1989年11月9日ベルリンの壁崩壊から始まった米ソの冷戦終結は国際統一規格作りに弾みがついたはずで、おそらく世界中の人がユートピア実現を夢見た時代だったのでしょう。

コンピューターも例外ではなく、軍事用の連絡網として活用されていたネットワークの一般解放とそれに続くオペレーションシステム(OS)によるプラットフォームを問わない情報交換手段の規格統一と世界の知識が持ち寄られ、共通の情報とは何なのかが熱く語られた。

けれども、Windows、Macなどのグラフィカルユーザインターフェース(GUI)を採用したOSが現れ、見栄えによる自己主張による意思統一の破綻が顕著化し始めた。画面サイズを固定化したアプリケーションや無関係な画像イメージを多用、マウス操作依存など。

それに危機感覚えた国際基準推進派はアクセシビリティとして、誰もがなりうる何らかの障碍を事例に見栄えの配慮を提言し始めた。

しかし、その後の社会情勢も社会主義が見せかけ上でもフォローしてきた少数民族の蜂起とそれに対する弾圧、9.11から始まる対テロ戦争とひととき世界が夢見たユートピアははかなく崩れ去り、ドル至上主義の「物によるユートピア」が「様々な顔」という自然的世界論を忘れさせかけている。

日本は近代になり、それまで諸藩から成り立っていた国の統一を行う上で、同和思想を展開し、今日に至っている国で、「障碍者」の位置づけも限定された不具者を指すものとしているため、アクセシビリティにおける対象も限られた方々への配慮という意識が強く、根底にある国際基準の価値認識まで至らないのが現状のような気がしています。

自然である事を忌み嫌い、見栄えの華やかさを追う考えは主導型思考のアメリカ的であるとともに同和思想を根深く残す日本においてもおそらく同様の過ちを犯しているのでしょう。

便利さの根底にある意思疎通という最も大切な自然のテーゼを忘れた社会は「様々な顔」に対するフォローアップのあり方を難しく考えすぎるために安易な解決策に向かう。個々人を繋ぐかに見えて、分断し、自己愛に溺れる社会。それは同和思想をまた強固にしていくのだろうと。

国際価値という価値基準を得たのに自国社会を過信し、膿を出そうとしない保身は管理されたい心を増幅させ、地球共同体の基本を忘れ、見栄えを「競う」社会を肥大させる。

法制上、差別撤回されても「社会」を恐れ、帰る故郷を望郷するハンセン病患者の傷みに集団的無意識をかいま見、来る世を思い。

世間の人よ笑わば笑え
共に恋した仲じゃもの

共に恋した二人が仲も
今は逢うさえままならぬ

ままにならぬは浮世の定め
無理に逢うのが恋じゃもの

千野かほる 作詞「籠の鳥」より

あるがままのもののあるがままの価値を見いだす事。
捧ぐるは愛のみ。

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身の程知らず

昔、札幌にジャブ70ホールという映画館があり、結構マニアックなプログラムを組んでおり、僕もよく通い、映画館を運営する兄ちゃん達と仲良くなったりしたのですが、その一人が今、地元紙にコラムを時々書いており、先週分のコラムでは東南アジアレポートが載っており、現地の方曰く、「なんで日本人は一律な豊かさを求めるのか?」という問いがあったとか、自分の収入に見合った生活を何故しようとしないのか。

確かに日本人はペンギンと同じく、集団行動がお好き。海外旅行なんかも「神風観光」と言われているとだいぶ以前、聴かされたし、安全な場所しか行動しないくせに、ガイドやスチュワーデスなんかに客面で難儀をふっかけ、「半殺しにされても文句の言えない行動」を取るそうだとか。

思い返せば、街中の温泉でもどこぞのお偉いさん風が、常連客面して、湯船につかり、ひげを剃っていたりして、店の人が来ると何喰わぬ顔で、カミソリを湯船の脇に置いて、素知らぬふりしたりしている情景が想い浮かぶ。

「この国の人間はまだまだ幼い。外で暴れてもこの島に逃げ帰れば何事もなかった振りが出来る」

CSで放映された森谷司郎監督日本沈没』で小林桂樹扮する学者が語る言葉。

今のゲーム世代の若者達が「リセット」感覚と言われているけれども、若者だけではないでしょう。自然がリセットしてくれる。人がリセットしてくれる。そんな他者依存が自然に、他者に横柄になり、そのくせ、遅れを取る事に脅える身の程知らず。豊かさの安直さ。

いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 あせぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを

吉井勇作詞「ゴンドラの唄」より

天知る、地知る、我が知る。
一度きりの人生、豊かさを問い直してみては?

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イメージ依存

何かと慌ただしい中、商品リストの提供が増えつつあるアフィリエイト業界に対応すべく、40の手習い、久々のPHPプログラミングに挑み、「ECサイトのお勧め商品カタログ」公開したところ。まだまだバグがあるので改善続けなきゃならないのだけれども。

アクセシビリティに配慮して作ったもので、参考になれば幸いで、作っていて、アクセシビリティって、古来日本が得意としていたポイントの集積なのになぁとも、改めて、再認識。

「文章の構造化」は肩書き社会の日本ではお馴染みの筈で、肩書きは見出し。本人が本文といえば、判りよいのかなと。(笑)

そして、最もアクセシビリティ論議で物議交わすメディアの扱いもメディアを使うならば、その代わりとなるテキストも添えて下さいだけの事で、これとて「マンガ生産国」の日本は得意の筈なんですよね。

先日のニュースで驚いた事なんですが、今回の東京都議会選で、人気タレントを起用したイメージ戦略で、道行く都民の反応はイメージに意識が向き、肝心の「東京都議会選」への関心を高める効果をなしていないのではという報道で、若い子などは一緒に書かれている「東京都議会選」の文字すら読もうとしていなかった。

思い返せば、だいぶ以前、民放テレビの映画放映効果というものがあり、映画放映してもどの民放テレビで放送されたか記憶ある人はほとんどいないというもの。

今のアフィリエイト業界の動向であるショップPRより、商品PR優先もなんだかなぁと思うのだけど、バナーよりテキストリンクが売り上げアップに繋がるなんていうのはなかなか面白く、消費者のイメージ広告離れの現れなんだろうなぁと思うのですよね。

更に、もう一点加えれば、やはりクエッション・サイトで知った事ですが、企業内LANを組んでいる環境って、意外とブラウザ・プラグインをインストールしていないようで、華やかな動画を見せるフラッシュはおろか、PDFさえ見られない環境もあるようで、そうなるとフラッシュ、PDFをメインにしたサイトはほとんど白紙状態のサイトになってしまうのだろうと。

ご自身のページ活用法を振り返れば、まぁ、フラッシュ渋滞、PDF待ち、耳障りなどなど身に覚えあるバリアとの付き合い方を身につけていると思うのですが。(笑)それに検索から入るフレーム内ページの出口探しの難儀、額縁ヌードならぬ、額縁ページなども一応付け加えておきますか。

イメージ依存は思うほど、意図が伝わらず、逆にイメージのみが先行してしまい、コミュニケーションの手段すらなくす危険性がある。映画界における「映画の死」が語られているのもイメージ依存の弊害から来るものでしょう。

誰もが消費者であり、何気なく乗り越えている障壁を乗り越えられない方達の存在を知る事で、豊かなコミュニケーションの創造が生み出せる。そんな当たり前の理屈がアクセシビリティ(利用可能)なんですがね。

生存競争の 八街(やちまた)走る
電車の隅ッコに 生酔い一人
ゆらりゆらりと 酒のむ夢が
さめりや終點で 逆戻り
ハア ノンキだね

石田一松作詞「のんき節」より

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エリート社会の裏側

先日、NHK週刊こどもニュースで、アフリカの貧困に至る過程を放送しており、欧米列強国による搾取、列強国につく側とアイデンティティを求める側のアフリカ人同士の争いなどアフリカの歴史が紹介され、現在の深刻な問題としてのエイズ問題が取り上げられていました。

番組を見ていて、欧米列強国で売れる物を作らせ続け、土地がやせた結果の土地の不毛、砂漠化現象や、アフリカ日本協議会などで語られている「エイズ治療薬の特許権をめぐる国際的な論争」貧しい国では特許権に対する対価を支払えないがために適切な治療を受けられない詳細な現実は語られていませんでした。

昨今、障碍者関連で議論になっている障害者支援費応益負担も問題として、似た側面を感じられるのです。

「『応益負担』の前に本格的な所得保障を」日本障害者協議会などが呼びかける緊急大行動で示される要望に無理は感じられないと思うのですが。

そして、ニュースで知った幼児虐待の母親で加害者の方の証言。エリート社会の裏側、いじめにあった子が母となり、我が子に嫉妬、やっかみを向ける。

「子供の頃。自分はいじめられ、誰も助けてくれなかったのに、何故、この子は助けられるのか」

ちょうど僕の世代くらいから始まったエリート教育の功罪がおそらくは今吹き出しているのでしょう。

頑張らなければ生きられないつけはヒートアイランド化した都会のしわ寄せが地方の異常気象を引き起こすようにエリート社会全体に広がると思うのですが。

雲雀鳴いても 天まで届く コリャコリャ
おらに選挙権 何故くれぬ
ヨーイ ヨーイ デモクラシー

倉持愚禅作詞「デモクラシー節」より

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Oisix :
おためしセット

ふぞろいの野菜たち


アフィリエイトをやっているとなかなか面白い企画を企業さんが提供してくれて、売り上げ貢献の粗品や謝礼金など頂く事があり、うれしかったりする。

先日、ローカルニュース番組でうちでも取り扱っている「Oisix(おいしっくす)」が規格外で商品価値なしと判断された野菜を扱うネットショップとして、紹介されており、遅ればせながら、「おためしセット」を注文し、昨日、届き、今晩、母に料理して貰い、食してみました。

無農薬、有機栽培の手作りパックの上に、Oisixによる親切な添え書きも安心感を与え、食べ物のネット通販初体験としてはなかなか心地よい物。

規格外のふぞろい野菜」はまだ試していませんが、見た目至上主義で、捨てられていく美しき天然の価値はもっと認められるべき物。

アフィリエイトって意識ある企業さんと巡り会えたりするから、面白いし、キブ・アンド・テイク、持ちつ持たれつの関係が企業、アフィリエイト、消費者を結べば、よいと思ってます。

アクセシビリティに配慮したページ作りのお陰で、アクセスもぼちぼちで、それなりの売り上げで、マージンも小遣い程度だけれども、入ってきている。

アフィリエイトを単なる集客目当てに利用しようとする企業もあるけれども、「持ちつ持たれつ」という関係こそが「人間らしさ」何じゃないのかなと。
「花咲き爺」の話ではないけれど。

どこぞの賢き方達は「北風と太陽」の説話すら読み替えていますけどね。

「敵に塩を送る」なんて発想、想像すら出来ないのでしょうね。敵がいるからアイデア合戦があるのに。

アフィリエイトの呉越同船サイトなんて企画、出来ないかなとも思ったりしますが。やらしいブログ業者みたいな企画しか生まれないのでしょうね。

とりあえず、うちはアクセシビリティにすれば、売れるという実績を作りたいなぁと。(笑)

空にさえずる 鳥の声
峯より落つる 滝の音
大波小波 とうとうと
響き絶やせぬ 海の音
聞けや人々 面白き
この天然の 音楽を
調べ自在に 弾きたもう
神の御手の 尊しや

武島羽衣作詞「美しき天然」より

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法律孤児

この頃のお奉行様は自助努力を奨励するそうな。

学生無年金訴訟。

任意加入は国の情け。
加入が情けなら、支払いも情けという事か。
情けにたかるお偉方が情けないのもそのためか。

残留孤児の賠償請求。

戦争はみなが苦難を味わった。
勝手に人の国に土足で入り込むのが天災か。
貧困にあえぐ農民達に新地開拓奨励が天災か。

思えば昨日の戦いに
朱(あけ)に染まってにっこりと
笑って死んだ戦友が
天皇陛下万歳と
残した声が忘らりょか

籔内喜一郎作詞 軍歌「露営の歌」より

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貝になりたい

2005年7月7日、ロンドンで地下鉄連続爆破事件。
血で血を洗う争いがまた続く。
織り姫と彦星は憎みあう組織同士の争いにまた引き裂かれた。

その昔、恐竜たちがその身体の大きさを維持するために争い、死滅したように。
市民巻き添え卑怯の論法は成り立たない。自分の欲に負け、「勝つまで闘う」と述べた大統領がアフガン侵攻の際、語ったように支持する民衆も同罪であろうし、東京裁判で、ひもじくしているアメリカ兵捕虜に腐った豆(納豆)を食べさせたがために死刑になった一兵卒もいる。
私は貝になりたい』そんな思いを抱く日。

カチューシャかわいや わかれのつらさ
せめて又逢う それまでは
おなじ姿で ララ いてたもれ

島村抱月/相馬御風作詞「カチューシャの唄」より

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東京節

「ここがやられたら、日本は麻痺するからね。」

石原慎太郎都知事談話より

そこまでお判りならば、集権主義打破、敢行して貰いたいもの。
震災危機意識に備えて。

騒ぎの最中生まれた子供
付けた名前が震太郎
アラマ オヤマ
震地に震作 シン子に復子
その子が大きくなりゃ
地震も話の種
エーゾ エーゾ
帝都復興 エーゾ エーゾ

添田さつき作詞「復興節」より

大震災は知らぬとも、空襲復興はご存じでしょうから。
イギリス帝都復興に負けぬためにも

ラメチャンタラ ギッチョンチョンで
パイノパイノパイ
パリコト パナナで
フライ フライ フライ

東京で自慢は なんですね
三百万人 うようよと
米も作らずに 暮らすこと
タジれた市長を 仰ぐこと
それにみんなが 感心に
市長のいうことを よく聞いて
豆粕(まめかす)食うこと やせること
シチョウサンタラ ケチンボで
パイノパイノパイ
洋服も ツメエリで
フルイ フルイ フルイ

添田さつき作詞「東京節」より

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昭和維新

二・二六事件の将校達の辞世が公開されたとか。

日本映画チャンネル太平洋戦争と日本映画という企画で観た佐分利信監督『叛乱』で、世に言う二・二六事件のあらましを再認識したところであるだけに。批評サイトでの批判、北一輝の描き方は確かにおかしいのだけれども。

簡単に説明すると、世界恐慌後、貧困であえぐ国民の暮らし向きに目もくれず、政財界の金権腐敗に軍部が乗っかり、大陸進出を企む事に異議を唱え、決起した将校達の叛乱。

その思想的指導者とされるのが北一輝で、『叛乱』の他にも吉田喜重監督戒厳令』はその思想性が時代を如何に翻弄したかを描いた物として知られており、鈴木清順監督けんかえれじい』では田舎のこせこせしたお山の大将達などと喧嘩する主人公に「でかい喧嘩」へ駆り立てる人として登場していたりする。

叛乱』で国を思い、天皇に直訴しようとした将校達は「天皇陛下万歳!」と叫び、天皇の軍隊に処刑される。右翼思想家北一輝が昭和天皇を仰ぎ見ていたのか、否か、そして、昭和天皇が激怒したと言われている真相は。

はっきり言える事は、国益を盾に、郷土愛を虐殺する風潮は今も同じなのではと思うのですが。

権門 上におごれども
国をうれうる誠なし
財閥 富をほこれども
社稷(しゃしょく)を思う心なし

ああ人栄え 国亡ぶ
めしいたる民世に躍る
治乱 興亡夢に似て
世は一局の碁なりけり

三上卓作詞「昭和維新の唄」

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amazon.co.jp :
アジール・チンドン

書生節考


お江戸の頃の事件を節つけ、読み上げ、瓦版を売り歩いた「読売」が、文明開化で自由民権思想を身にまとい、演説壮士の「壮士演歌」に相成りまして、名高い川上音二郎の「おっぺけぺ節」は遙か巴里の万国博で輝かしきレコーディングの名誉を受け、演説する歌「演歌」は巷にあふれかえり、民権の里、土佐の高知の「よさこい節」を原型とする「ダイナマイト節」など、一世風靡。唱歌、都々逸、七五調の日本定型詩の形を借りて、1970年代のパンクの如く、世に広まり、その歌本売って、演歌士は生きていた。

日清、日露あたりから、民権運動敗北で「壮士演歌」は解体し、南蛮渡来のヴァイオリンがその手軽さから、使われ始め、和洋折衷のヴァイオリン流しが巷に溢れ始めて、哀愁漂う「書生節」と相成り、暗い浮き世を嘆く歌、世相を皮肉る歌が歌われて、ヴァイオリン演歌の時代を築くけれども、昭和に入り、レコード産業の資本化の波に、流し文化は廃れてしまう。

枠にはめられずの大道芸。その精神は榎本健一の浅草オペラ、戦後、三木鶏郎の鶏郎節に受け継がれ、1995年1月17日阪神大震災の時にはチンドン・ミュージックでソウル・フラワー・モノノケ・サミットが被災地神戸市長田区での出前ライヴ「アジール・チンドン」で「東京の永田にゃ金がある、神戸の長田にゃ唄がある」と「復興節」を唄い、メジャーレコード会社が自主規制、マイナー・レーベルにての発売と相成った。

東京の永田にゃ金がある
神戸の長田にゃ唄がある
アラマ オヤマ
ホンマのまつりごと見せたれや
コリアンもヤマトンチュも
アリラン峠を越えていく
ナガタ ちんどん エーゾエーゾ

家は焼けても神戸っ子の
意気は消えない見ててよね
アラマ オヤマ
ホンマの人間ここにあり
笑って 怒って 涙はいらない デッカンショ
阪神復興 エーゾエーゾ
淡路復興 エーゾエーゾ
日本解散 エーゾエーゾ

何故これが駄目なのか。それが日本のおかしなところ。日本は庶民が復興なし遂げた国であるのに。

今日のインターネットなどはこれら日本の反骨精神を活用出来る場ではないのかなと。
投げ銭下さい。(笑)アフィリエイトマージンでも結構。(笑)

更なる欲望でこんな事も。

それぞれ試して、exciteウェブページ翻訳が今のところ、性能的に一歩リードという感じ。
このページ英訳はまだいいのだけれども、「それでも待ってる 夏休み」英訳などはリンク箇所読み込みが結構ひどい。

「かなりあ」がなんで「Considerable」なのかよく判らんけど。(笑)
言い回しが複雑な日本語の英訳以前に、翻訳サービスもHTMLの基礎知識を導入してくれれば、インターネット大道芸も世界と繋がれるのになぁと。(笑)

日本発信のISO/IECガイド71デファクト標準とデジュール標準。見栄え充実の前にせっかくどんな環境でも内容を伝えうるアクセシビリティ規格があるのだから、中身の再考、そして、その活用を。利用者不在の愚かなDVD規格と同じく、これからの低コスト化時代、浮かれていると、いつまで経っても赤字解消しようとしない御上に根こそぎ、資本持ち逃げされると思うのだけど。

こんなページなんか どうでもいいと
心の中で思っていても
どうせページを開きになったなら
読まなきゃ あなたの御損です
ハァ あきらめろ

石田一松「あきらめろ」より改変

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書生節が聴ける音源

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徒然なるままに : 過去記事 2005-06-24 掲載 2005-07-13 加筆
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